下河辺氏が八郎潟干拓を首相に進言 オランダ講和へ懐柔策

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下河辺淳氏

 「ミスター全総(全国総合開発計画)」と呼ばれ、今年8月に亡くなった元国土事務次官の下河辺淳氏(享年92)が生前、元部下に「八郎潟干拓をオランダの技術協力を得て事業化するよう、自分が吉田茂首相(当時)に進言した」と話していたことが分かった。吉田首相は、第2次世界大戦後の対日講和条約にオランダを参加させるため、日本とオランダが共同で行う大規模事業を立案するよう建設相に指示していたとされる。米プリンストン大学図書館には、吉田氏が「日本の干拓事業を支援することが、オランダのサンフランシスコ講和条約署名につながった」と明言したインタビューの記録が保存されている。

 下河辺氏の元部下、吉村彰氏(82)=元国土庁長官官房審議官、東京=によると、下河辺氏が吉田首相に八郎潟干拓を進言したのは1950年4月ごろ。米国では対日講和担当の国務長官特別顧問にジョン・フォスター・ダレス氏(後の国務長官)が就任し、講和条件に関する水面下での交渉が動き始めた頃だった。

 米国は当時、できるだけ多くの戦勝国を講和条約に参加させようとしていた。ところが「日本に賠償を求めない」という米国の方針に対し、現在のインドネシアにあった植民地を日本に占領されたオランダが反発。米国側から吉田首相に対し「オランダの技術協力を得て行うプロジェクトはないか」と打診があったという。賠償金の代わりに技術協力費を払うことで、オランダを納得させようという狙いだった。

 吉田首相はオランダの協力で行う大規模事業を考えるよう建設相に指示。住宅局職員で26歳だった下河辺氏が「建設省にはないが、農林省にはある。秋田の八郎潟干拓です」と発案した。

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