北斗星(10月13日付)

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 小欄で「ねんりんピック秋田」に参加した長崎県大村市の男性が戊辰戦争で落命した大村藩士・浜田謹吾(きんご)少年の墓参りをしたことを紹介したが、80代の読者から「歌の一部が違うのでは」とはがきを頂いた

▼歌は「ふた葉より手くれ水くれ待つ花は君がためにぞ咲けやこのとき」。謹吾が眠る仙北市角館町の常光院の石碑に刻まれている。わが子を花に例え、藩主のために頑張れと詠んでおり、けなげな母の愛にあふれる

▼はがきの男性はかつて「待つ花は」でなく「待つ花の」と教えられたという。歌は謹吾の衣類に縫い付けられていたようだが、現物は今はない

▼武藤鉄城著「角館の歴史」(1929年)は「二葉より手くれ水くれ待つ花の君の御為(みため)に咲けよ此(こ)の時」と紹介。大村市史に載る歌も「ためにぞ」の部分が「みために」となっている。藩主に配慮して尊敬語にしたのかは不明とある。歌が伝わるうちに推敲(すいこう)され変化したのかもしれない

▼約20年前、俳人・松尾芭蕉「奥の細道」の自筆原本が見つかり話題となった。訂正の張り紙が70カ所以上あり推敲の跡が見られた。紀行地で詠んだ句もその後、推敲され変化していったことになる

▼歌をたしなむ知人は「待つ花の」の方が作品は締まると評する。はがきの男性の妻は戦時中、角館小学校でこの歌を同級生と一緒に暗唱させられたという。その時の「君」は天皇陛下を指していた。推敲ならまだしも、戦争に利用されては純粋な母親の思いは報われない。