まとめ:マサルだけじゃない! めんこい秋田犬たち

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 フィギュアスケートのザギトワ選手への贈呈で秋田犬ブームは最高潮に達しているかのよう。近年の秋田犬ツーリズムへの取り組みもあって、県内では数々の秋田犬のアイドルが誕生しています。古くは忠犬ハチ公から現役で活躍している看板犬まで、めんこいワンコたちをまとめて紹介します。

佐々木希さんもメロメロ 秋田犬会館の受付嬢「ゆき」ちゃん

「ゆきちゃん」に触れる希編集長

<秋田魁新報 2018/02/12>

 秋田魁新報社「秋田の魅力発信」編集長の佐々木希さんが大館市の秋田犬会館を訪ね、同市周辺がルーツとされ、海外でも人気が高まっている秋田犬と触れ合いながら、今に語り継がれるハチ公や老犬・シロなど、秋田犬の忠犬ぶりを取材した。

 自宅でチワワのマロンちゃんを飼うなど、愛犬家としても知られる希編集長を待ち受けていたのは同会館の4頭の秋田犬。受け付けでは人気の“受付嬢”「ゆきちゃん」(雌・6歳)がカウンターに前足をのせて熱烈歓迎。希編集長は、目を細めて熱心にアップ写真を撮った。

 秋田犬に関する資料やジオラマ、写真などが展示された博物室では、女性職員から昔はマタギの狩猟犬として欠かせない存在だったという秋田犬の由来などの解説を受けた希編集長は「秋田犬が世界的に愛されるようになったきっかけは」と質問。

 「忠犬ハチ公をモデルにした2009年のハリウッド映画『HACHI~約束の犬』が世界中に大きな感動を巻き起こし、人気に火が付いた」「東日本大震災の復興支援への謝意として12年に県がロシアのプーチン大統領に雌の『ゆめ』を贈ったことが広く報じられ、人気を後押しした」との職員の説明に納得した様子。

 さらに、飼い主であるマタギに忠義を尽くし、ハチ公と並ぶ忠犬と称され、同市葛原の「老犬神社」に祭られている秋田犬「シロ」の物語を再現した展示も興味深く取材した。

武家屋敷通りの人気モデル「武家丸」

観光客の前でポーズばっちりの武家丸

<みなみ広場 2017/11/12>

 観光客がひっきりなしに行き来する角館町の武家屋敷通り。そのど真ん中に位置する工芸品店「さとくガーデン」(高橋佐知(さおき)社長)店舗脇の駐車場の一角に、3歳の雄「武家丸」は鎮座している。観光客の口コミやSNSで「かわいい」という評判が広まり、今や武家屋敷巡りを楽しむ観光客が一緒に「自撮り」を楽しむ人気者だ。

 10月中旬の夕方。遠くを眺めるような目で武家丸は迎えてくれた。少しお疲れ気味なのか、記者の姿を確認した後は目をつぶって、横になったままの無防備な姿。それでも、ピークの紅葉を楽しんだ多くの観光客らが駆け寄るや、「仕事だ」とばかりに、シャキッと立ち上がるのだった。

 「おとなしい犬。でも、小さい時から観光客慣れしているから、普段は眠っていても、人に向かってちゃんとポーズを取る」。佐知さんの妻で同社取締役のあゆみさんは、こう言って笑った。

 武家丸は秋田犬の本場・大館市の生まれ。佐知さんが3年前、「県外の人が秋田を訪れても秋田犬になかなか会えない。観光客が秋田犬と触れ合う機会をつくりたい」と飼い始めた。

 名付け親はあゆみさん。「武家屋敷にふさわしく、強く男らしい名前にしたかった」という。桧木内川岸の散歩は、あゆみさんや、店に勤める外国人スタッフが担当している。

 武家丸は「年中無休」だ。週末ともなると、朝から夕方まで、途切れることなく観光客が詰め掛ける。外国人観光客にも人気で、「欧州など外国人の間で、秋田犬は有名。(忠犬ハチ公の物語がベースの)映画の影響もあると思う」(あゆみさん)と言う。

秋田ケーブルテレビの“社員犬”「さくら」と「だいすけ」

社員証を首に掛けるだいすけ(左)とさくら

<秋田魁新報 2015/10/02>

 秋田市八橋の秋田ケーブルテレビ(松浦隆一社長)は1日、秋田犬2匹の「入社式」を開いた。来客の出迎えのほか、社内や観光地で撮影する動画などのモデルを務め、国内外のテレビ、インターネット利用者に同社や本県の魅力を紹介していく。

 本県の認知度向上を目指し、同社が展開している「秋田グローバルプロジェクト」の一環。採用されたのは、おとなしい性格の「し~な だいすけ」(雄、8カ月)と黒い毛が特徴の「し~な さくら」(雌、6カ月)で、名字の「し~な」は同社の略称「CNA」にちなんだ。

 入社式で松浦社長は「秋田の魅力を世界に発信してくれると期待している」とあいさつし、2匹の首に社員証を掛けた。同社は期限を設けず、社内で飼育することにしている。

モフモフ動画、世界で話題に MOFU MOFU☆DOGS

GWA2部門でトップ賞に輝いた「秋田犬ツーリズム」の動画

<秋田魁新報 2017/08/31>

 大館、北秋田、小坂、上小阿仁の4市町村でつくる地域連携DMO(観光地域づくり法人)の「秋田犬ツーリズム」(会長=中田直文大館商工会議所会頭)が昨年11月に動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開した観光PR動画が、優れたPR活動を表彰する国際コンテストの2部門でトップ賞に選ばれた。
 
 動画は2分10秒の「Waiting4U(ウェイティングフォーユー) モフモフさせてあげる」。画像の合成によって擬人化した秋田犬3頭が、犬の鳴き声をつなぎ合わせて作った歌を披露しながら、きりたんぽ鍋や北秋田市の「綴子大太鼓」といった地域の名物や祭りを紹介している。

 同DMOが受賞したコンテストは、世界中のPR会社などでつくる国際PR協会(本部・ロンドン)が毎年主催する「ゴールデン・ワールド・アワーズ・フォー・エクセレンス(GWA)」。イベントや商品PRなど60の部門があり、今年は20以上の国と地域から計423件の応募があった。

 同協会会員ら20人が、アイデアの斬新さやPR効果の観点から審査。同DMOの動画は、官公庁の活動が対象となる「パブリックセクター部門」と、観光客誘致などを目的とした活動が対象の「トラベル&ツーリズム部門」でそれぞれトップ賞に選ばれた。

 動画制作はインバウンド(訪日外国人客)誘致強化の一環。再生回数は30日現在で約124万7千回で、このうち台湾での再生が約7割を占める。

 中田会長は「秋田犬を活用した取り組みが世界で認められ、光栄に思う。今後も地域資源を生かし、多くの人に訪れてもらえる地域づくりを展開したい」とコメントした。

 国際PR協会は10月13日、各部門のトップの中から選んだグランプリを発表する。

 同DMOの動画は6月、アジア太平洋地域を対象にした同様のコンテストでも金賞と銅賞を獲得している。

プーチン大統領に贈られた「ゆめ」

育てられた畠山さんに抱きかかえられ、親善のタスキを掛けられる秋田犬の「ゆめ」

<秋田魁新報 2012/07/27>

 県がロシアのプーチン大統領に贈る秋田犬「ゆめ」の出発式が26日、秋田犬保存会(伊藤毅会長)の本部がある大館市字三ノ丸の秋田犬会館で行われた。保存会員でゆめを育てた同市比内町の畠山正二さん(69)や市内の園児ら約30人が出席、「日本とロシアの友好の懸け橋に」との願いを込め、古里から旅立つゆめを見送った。
 
 伊藤会長が「大変人懐こくて、われわれが望んでいた犬だ。これまで90日以上、畠山さんが手塩にかけて育ててくれた。会としても非常に名誉なこと。ゆめは十分に日本のため頑張ってくれると思う」とあいさつ。来賓の祝いの言葉に続き、畠山さんが「まさか自分の犬が贈られるとは夢にも思わなかった。大統領にかわいがってほしい」と述べた。

 市観光協会の石田雄一会長と市内の園児らが、畠山さんに抱きかかえられたゆめに、「親善大使として頑張って」と呼び掛けながら「世界のかけ橋」「世界へ“ゆめ”とどけ!」と書かれたタスキを掛けて祝福した。

 ゆめは式の後、同会県北支部の三浦広成専務理事や県職員に伴われて秋田空港を出発。27日に成田空港から出国し、29日までにロシア政府に届けられる予定。

元祖・秋田犬ブーム「忠犬ハチ公」

生前のハチ公

<秋田魁新報 1999/06/27>

 渋谷駅で亡き主人を待ち続けた忠犬・ハチ公―。昭和七年、忠実で献身的なこの秋田犬の美談が報道されると、ハチの人気は一気に高まった。

 渋谷駅には連日、ハチ見たさに多くの見物客が集まった。周辺の商店には「ハチ公せんべい」、「ハチ公チョコレート」が登場、ハチが死ぬ一年前にはハチ公銅像も出来上がった。十年はハチ公の物語は「恩を忘れるな」という題で、修身教科書でも紹介された。

 ハチが死んでから六十四年。美談は風化していない。ハチ公の物語に感銘し、欧米からハチ公の古里・大館市を訪ねる人も少なくない。秋田犬の名前を世界に広めたハチ公とは、どんな犬だったのか―。

 大正十二年、旧東京帝国大学農学部の上野英三郎教授が、純血の日本犬を欲しがっていた。当時、秋田県庁に勤務していた上野教授の教え子の技師たちが、その話を聞き、秋田犬の子犬を探す。運よく、大館市大子内の斎藤義一宅で秋田犬四匹が生まれたことを知り、翌十三年一月、このうち一匹を分けてもらい上野教授に送った。

 上野教授は子犬を「ハチ」と名付け、かわいがった。ハチは上野教授に付いて大学や駅まで行ったり、そのまま駅頭で遊び、上野教授の帰りを待つようになったという。犬の放し飼いも、今ほど厳しくなかった。

 ハチと上野教授の付き合いは長くなかった。上野教授はハチを飼いはじめて一年半後の十四年五月、大学の教授会で突然倒れ、そのまま帰らぬ人になった。

 ハチは上野教授の死後、顔なじみの植木屋に預けられたが、渋谷駅まで頻繁に通うようになった。顔に墨でいたずら書きされたり、安産のお守りになるとして鑑札を盗まれることもあった。それでもハチは毎日のように駅に通った。同情、共感の目がハチに注がれた。素朴で忠実な犬の姿は、人の琴線に触れるものがある。

 「やつれた老犬で、いつもゴロっと横になっていた、しかしその目が忘れられない。懐かしさを感じさせるような優しい目だった」。幼児期に渋谷駅で、ハチ公を実際に見た林正春さん(70)=東京都豊島区=は、こう語る。

 林さんはハチ公の実像を後世に伝えようと、平成三年にハチ公関連の文書を集めた「ハチ公文献集」(四百六ページ)を自費出版したほどのハチ公研究家だ。

 「駅周辺の焼き鳥屋が与えるえさが目当てで、ハチが駅に通ったという人もいる。しかしそうではないと思う。主人のぬくもりやにおいを求めて通ったのではないか。渋谷の駅頭に上野教授の温容を見つけ出すことがハチの終生の願いだったのではないか」。林さんは、そう信じている。

 日本犬保存会(東京)の創立者・斎藤弘吉は自著「愛犬ものがたり」の中で、「ハチ公を人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかもしれませんが、ハチの心を考えると、恩を忘れない、恩に報いるなどという気持は少しもあったとは思えません。あったのはただ自分をかわいがってくれた主人へのそれこそ、まじりけのない愛情だけだったと思います」と書き残している―。

ヘレン・ケラーも「秋田犬ほしい」 県警の剣道師範がプレゼント

小笠原氏と子犬

<秋田魁新報 1999/06/27>

 昭和十二年、秋田犬の名前が、さらに世界に知られるきっかけになった出来事があった。同年四月、”三重苦の聖女”と呼ばれたヘレン・ケラーが、日本講演の一環で秋田市を訪問。ケラーは「秋田犬をみたい」と県関係者に要望した。渋谷駅のハチ公銅像前で聞かされたハチ公の美談に感銘したようだ。

 県警察練習所(現県警察学校)の剣道師範で、愛犬家の小笠原一郎(大館市出身)に声が掛かった。小笠原は自分の家で飼っていた生後七十日前後の子犬を、県記念会館の庭園でケラーに見せた。その日の夕方、ケラーは「秋田犬をぜひ、米国に連れて帰りたい」と申し出た。

 約一カ月後。横浜港から帰途に就こうとするケラーに、小笠原の子犬「神風号」が手渡された。これが秋田犬が、米国で本格的に紹介されるきっかけになったとする米国の犬専門書もある。

 その後、小笠原の元へ、一通の手紙が届いた。差出人はケラー。神風号の死を知らせる手紙だった。その中でケラーは「生後わずか五カ月ぐらいで、こんなにまで献身的な犬は見たことがない…『毛皮を着た天使』があるとすれば、実に神風号であると言えましょう…秋田犬は本当にわたしの気持ちにぴったりするいろいろな性質を持っています」と、秋田犬を称賛している。

 十四年、小笠原に再度、ケラーへの秋田犬献呈の話がもち込まれた。当時、小笠原の元には大館市の素封家から譲り受けた犬がいた。「剣山号」だ。小笠原は、米国のケラーに送った。

 「日米関係は極度に悪化の一途を辿り、一時は果たして『この船(剣山号を乗せた霧島丸)が無事にニューヨークのブルックリン埠頭(ふとう)」に着くのであろうか』と、心配したわけですが。しばらくして、外務省や関係の方々からそれぞれ無事に着いたとの知らせが入り、本当にホッとしました」。小笠原は秋田犬保存会の機関誌にこう書き残している。

 ニューヨーク到着の様子は、米国の有力日刊紙「ニューヨーク・タイムズ」「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」も報道。秋田犬の名は高まった。戦争に向かっていた二つの国だが、秋田犬はささやかな平和、友好の使者として海を越えた。

 「わたしは剣山号を小笠原氏から贈られた愛犬としてばかりでなく、いまなお輝かしい記憶として残っている日本の国民からの使者として愛しています」(昭和十五年四月)。ケラーは小笠原に当てた手紙で記している。その一年半後、太平洋戦争に突入、日米は敵対国となった。初代のハチ公銅像も金属回収で没収された。

 戦後。忠実で堂々とした秋田犬は、進駐軍の人気を集め、米国人に飼われるようになった。二十三年にはハチ公銅像が再建された。多くの外国人が、日本の名所として必ず渋谷駅の忠犬ハチ公銅像の名前を挙げ、訪れたという。

 ハチ公はいまなお渋谷駅前に悠然と構え、主人の帰りを待っている。秋田犬のもつ忠実さ、素朴さ、威厳を今後も多くの人に伝えていくに違いない。

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