どっぷり雄物川紀行 遡上編
海のウグイ 藩も珍重

江戸後期、秋田藩の御相手番(家老に次ぐ重職)を務めた渋江和光(まさみつ)(1791~1843年)の日記に、「背黒(せぐろ)」という名の魚が頻繁に登場する。例えば文政12(1829)年4月15日の記述。「(一族の)荒川宗十郎が釣りに行き、全長1尺4寸(約42センチ)の背黒を1本持ってきた。酒飲みを終えるころだったが、しょうゆに少し浸して口にした」
贈答用として珍重されていた点からすると、高級な縁起物だったことがうかがえる。背黒とは、果たしてどんな魚だったのか―。謎めいた珍魚に興味を抱いた元県立図書館長の半田和彦さん(67)=秋田市=は4年前、正体解明に乗り出した。
当初目を付けたのはカタクチイワシ。下総や常陸など地方によっては方言で背黒と呼んでいたと知り、半信半疑だがイワシ説は有力と見込んだ。ところが日記によれば、和光は下淀川村(現大仙市協和)で背黒の献上を受けている。「鮮度が落ちやすい青魚をわざわざ下淀川まで運んで献上するだろうか」。しかも日記では背黒を「本」と数えているが、イワシのような小魚を1本、2本と数えるはずがない。半田さんは「全長42センチ」という記述を再確認し、正体はイワシではないと判断した。
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背黒は和光日記に限らず、江戸時代の紀行家菅江真澄の「雪の出羽路」でも紹介されている。「(旧雄物川町)沼館ノ名産 せぐろはこと河の雑魚にいやまさりて佳品なり」。さらに院内銀山(湯沢市)のお抱え医だった門屋養安(1792~1873年)の日記にも、何度も記載されていた。

こうした文献を丹念に調べる過程で分かったことは▽「本」と数えるほど大型▽雄物川で捕れるのに、刺し身で食べられるほど臭みが少ない▽早春か晩秋の食材で、夏場は登場しない―といった点。郷土史の専門家らと議論を重ねた結果、半田さんは「背黒の正体はマルタ(ウグイ)」と結論付け、2年前に歴史論考集に発表した。
「文献をひもとくうち、川と海を行き来する大型魚だという思いを強くした」と半田さん。その推定通り、マルタは5~6月に産卵のため海から雄物川に遡上(そじょう)するウグイの仲間。阿仁川流域など県内の一部地域や県外には「セグロ」という呼び名も残っている。稚魚は秋から翌春にかけて海に下り、生活の大半を海で過ごす。海で豊富な餌にありつくため、5~6年で50センチ超の大物に成長する。
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正体解明に数年を要するほど手間取ったのは、県内で「背黒」という呼び名がほぼ消滅してしまったことに加え、個体数が極端に減ってマルタを見掛けなくなったからだろう。真澄が記したように、沼館を含む中流域では名産品になるほど捕れていたようだが、今では春先のウグイ漁の投網にまれに掛かる程度。川漁師でさえ目にする機会は少なく、狙って捕れる魚ではなくなった。
マルタを口にした経験がある川漁師たちは口々に言う。「あれは川魚というより海のウグイ。味も大きさも海の魚そのもの。臭みがなくて上品な感じだ」。さすが献上品にもってこいの貴重な魚。だが県版レッドデータブックで絶滅危惧(きぐ)種2類に分類され、味も存在も今や幻となった。
- (上)[クキザッコ]水門に集結 春の味覚(2010/07/15)
- (中)[謎の魚「背黒」]海のウグイ 藩も珍重(2010/07/16)
- (下)[稚魚]多様性の保全図れ(2010/07/17)


