連載企画
氷海を越えて 南極観測隊同行記
酷寒の風に白瀬思う
急激な気温低下により、海面から水蒸気が立ち上る中を観測船「しらせ」が進む。南極大陸3番目、約6万2千平方キロメートルの広さを持つアメリー棚氷が、すぐそこまで迫っている。気温氷点下15度、風速20メートル。艦橋の外の甲板に立つと、かつて経験したことのない冷気が全身に吹き付けてきた。
鼻毛が凍るのを感じながら棚氷に向かってカメラを構える。金属製のシャッターに置いた指が焼けるように痛い。南極観測用にアウトドアメーカーが開発した特製の革手袋をしていても、冷え切った金属が指を痛めつける。

棚氷とは、これほど寒く厳しい場所なのか。
南極大陸を覆う氷床が重力に引っ張られ、海にせり出している部分を棚氷と呼ぶ。2月25日、帰路の途上にあったしらせはアメリー棚氷に接近した。猛烈な冷風が吹く甲板の上で、98年前にロス棚氷を南進した陸軍中尉・白瀬矗(のぶ)(1861~1946年、にかほ市金浦出身)のことを思った。
棚氷に上陸した時、白瀬たちの服装はシャツ2枚、ズボン下1枚、その上に隊服、防寒帽、雪めがね、耳当て、毛皮オーバー。ブリザードが吹き荒れる氷原を9日間、犬ぞりで南へと突き進んだ白瀬たちは、南緯80度05分、西経156度37分を最終到達点とし、「大和(やまと)雪原(ゆきはら)」と名付けた。南極最大、約47万平方キロメートルのロス棚氷を、白瀬は大陸の一部だと生涯信じていたという。
棚氷に吹くブリザードがどんなに厳しいものか、南極から帰ってきた今なら理解できる。しかし、国家の支援がない中、当時の欧米の探検家と比べても信じられないほどの小さな船と粗末な装備で、南極探検を成し遂げた白瀬の精神力がどこからきたのか、いまだに想像すら及ばない。
われわれは現代の科学と技術に守られて南極を訪れることができた。そうはできなかった時代に白瀬が挑んだ探検が、理解を超える偉業であることを実感した。
<完>
- (1)[一筋の道]モーゼの十戒のよう
- (2)[暴風圏]吼えぬ40度、拍子抜け
- (3)[定着氷縁]ペンギンたちが歓迎
- (4)[しらせ船内]自衛隊員と共同生活
- (5)[夏作業]誰もが泥にまみれて
- (6)[むき出しの地球]圧倒的静けさ広がる
- (7)[しらせ苦戦]自然のすごみを実感
- (8)[パッダ島]氷河が運んだ迷子岩
- (9)[ケルン参拝]悲劇の教訓を生かす
- (10)[CO2循環]「凍る海の役割」探る
- (11)[セールロンダーネ山地]地形に気候変動の跡
- (12)[白瀬氷河]岩山をも削るパワー
- (13)[大陸氷床の上]生物を拒絶する世界
- (14)[昭和基地の食事]プロ料理人、腕振るう
- (15・完)[アメリー棚氷]酷寒の風に白瀬思う