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白瀬・南極探検100年

連載企画

雪原への道 第1部・屈辱と友情

刀は語る(下)

日豪親善へ「里帰り」

 白瀬矗(のぶ)が友情の証しとして贈った日本刀は、T・W・エッジワース・デービッド教授の死後、しばらく所在が分からなくなっていた。次女メアリーさんの家で発見されたのは1970年代。その経緯については、シドニーの刀剣愛好家イアン・ブルックス陸軍少佐が、白瀬とデービッド教授のエピソードを知り、メアリーさんに頼んで自宅を探してもらって発見したというのが定説だった。

発見者の定説を否定

 「刀を見つけたのはわたしじゃない。アンだよ」

 現在、軍を退役してシドニー郊外に暮らすブルックスさんは定説を否定した。

 アンとは、デービッド教授の孫娘アン・スミスさんのこと。叔母のメアリーさんの家に遊びに行った時、階段の下の物置で袋に入った長いものがあるのを見つけた。取り出して見るとさびた刀だった。メアリーさんは、地元新聞に「日本刀に詳しい人物」として紹介されていたブルックスさんのことを思い出し、電話をかけた。その後のブルックスさんの調べで、刀の由来が分かったというのが真相だ。

高田景次氏から贈られた書の前に立つブルックスさん

 「白瀬の刀発見」のニュースは、日本とオーストラリアで大きく報道された。79年1月、シドニー農業祭に招かれた高田景次秋田市長(当時)は、刀を一時持ち帰って展示会を開こうと、メアリーさんの自宅を訪れ頼み込んだ。そこにブルックスさんが「待った」をかけた。

 「刀はシドニーにとっても大切な遺産。メアリーは高齢だったし、高田市長のペースで話をまとめられては困ると思い、市長が泊まっているホテルに駆け付けた。『刀にまつわる友情の物語を日本の青少年に知ってもらい、日豪親善につなげたい』という市長の真意が分かり、わたしも了承することにしたよ」。ブルックスさんはこう振り返る。

光沢取り戻した名手

 同年7月、日本に里帰りした刀は、ブルックスさんと親交のあった福岡市の研ぎ師の手によって光沢を取り戻した。展示会が開かれる秋田市へと運ばれる途中、東京で白瀬の長女市川ふみこさんが刀を手に取る機会もあった。秋田市美術館で開かれた展示会は「白瀬の刀の里帰り」として大きな話題となった。

 刀の発見者アンさんは、首都キャンベラで詩人や劇場ディレクターとして活躍した著名な文化人だ。2002年には「The Sword Speaks(刀は語る)」という詩を書いている。

 「二人の男と、二つの民族の交流と友好。間違いなく渡された贈り物…」「名人の手によってわたしは再生した。歴史と二つの国の名誉を、彼と分け合う…」

 江戸時代に作られ、白瀬とともに南極を旅することになった刀の数奇な運命。今では二人の探検家と、二つの国の友情のシンボルになっている。

<第1部終わり>

(2010/09/10 付)

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