TOP > 特集・連載 > 白瀬・南極探検100年 > 【特集】探検家・白瀬矗中尉

白瀬・南極探検100年

特集

探検家・白瀬矗

偉業、燦然と輝く

南極点到達を目指した白瀬

 少年時代に抱いた夢を貫き、現代では考えられない貧弱な装備でアムンゼン(ノルウェー)、スコット(英国)との南極点到達レースに挑んだ陸軍中尉・白瀬矗(のぶ)(1861~1946年、にかほ市金浦出身)。今年は白瀬が日本初の南極探検に出発してから100周年に当たる。

 白瀬は金浦・浄蓮寺の長男に生まれた。11歳の時、寺子屋の先生から北極の話を聞き、北極探検家を志した。18歳で上京。陸軍教導団に加わり、1893年に海軍大尉・郡司成忠が千島列島拓殖のため組織した「報效義会」に参加。北千島・占守(しむしゅ)島で2度にわたる過酷な越冬を経験した。1904年に日露戦争に応召した後、陸軍中尉となった。

 極地探検の志を持ち続けた白瀬は、09年に米国のピアリーが北極点に到達したという報道を知り、目標を南極に変更。政府に探検費用の援助を求めたが、政府はこれに応えることはなかった。国民から義援金を募り、ようやく手にしたのがわずか204トンの機帆船・開南丸だった。10年11月29日、白瀬と26人の隊員、29頭の犬を乗せた開南丸は東京・芝浦港を旅立った。

わずか204トンの開南丸で南極に向かった

 ニュージーランドのウェリントンを経由し、悪天候の続く中を南進し続けた開南丸は11年3月14日、南極大陸に面したロス海のコールマン島付近で氷塊に阻まれ、オーストラリア・シドニーへと引き返した。探検隊はシドニーで野営生活を続け、同年11月19日に再び南極へ向けて出港。12年1月16日にロス海の鯨湾に到着した。

 同月22日、白瀬ら5人の突進隊は南極点に向けて犬ぞりで出発。氷点下20度以下の寒気とブリザードが吹き荒れる中、28日に南緯80度5分、西経156度37分で力尽きた。白瀬たちはその場に日章旗を立て、見渡せる全域を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名して撤退した。

大和雪原に立つ白瀬

 白瀬がたどり着いた地点は大陸から延びる「棚氷」であり、実際には大陸ではなかった。しかし欧米が世界史の主役だった時代に、驚くばかりの貧弱な装備でアムンゼンやスコットに肉薄する成果を残した白瀬の偉業は、人類の探検史に燦然(さんぜん)と輝く。

(写真はいずれも白瀬南極探検隊記念館提供)

(2010/01/01 更新)

動画

連載企画

リンク