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素顔のカンボジア


[命の食卓]

食肉への感謝忘れず

 午前3時。まだ日の昇らない暗闇の中で、水牛の食肉解体が始まった。鋭いナイフで首を切られた水牛ののどからは、大量の血液が噴き出し、一滴の血も無駄にしまいと、解体業者の女性がたらいで受け止める。水牛が絶命すると、黒い巨体の解体が手際よく進んでいく。野良猫もいつの間にか現れ、おこぼれにあずかろうと彼らのすきをうかがっている。

ナイフ1本でさばく

絶命した水牛。人は他の生命の犠牲の上に生きている

 カンボジアの農村部では、今も機械に頼ることなく、市場に供給される食肉の処理が人の手で行われている。「私たちの街は小さいので、1日に解体する水牛は3頭ほど。機械に頼ることなく、ナイフ1本で処理してきました」。1989年から食肉解体業に就いているミエンさん(52)は言う。

 カンボジアで食べられている牛肉の多くは水牛。黒い体に大きな2本の角が特徴だ。農村部の市場に供給される水牛の多くは、農耕牛として働いてきた牛や、買った子牛を大きくなるまで育ててから1頭単位で売るケース。最近では、食用のためだけに牧場で飼育されている牛も少しずつ増えているが、その数はまだ少ないのが現状だ。

 水牛の解体は1時間ほどで終了した。各部位に分けられた肉はまだ温かく、命があったことを実感させる。「長い間、食肉解体を行ってきました。私たちは牛の命を奪い、その命を売り、お金を得ています。そして人間はその命を食べて生きているのです。命への畏敬(いけい)と感謝の念は、私も、カンボジアの多くの子どもたちも小さい時から持っています」とミエンさんは話す。

肉塊ぶら下がる市場

午前3時、水牛の食肉解体を行う業者。処理された肉はすぐに市場に運ばれ、人々の食卓へ上がる

 カンボジアではスーパーマーケットと呼べる店は都市部に数カ所しかない。カンボジアの人々の多くは、地元に点在する市場で食料を購入する。市場では、日本のように包装され値段が張られた生鮮食品は存在しない。肉は部位が分かるように塊で並べられ、巨大な肉塊を店頭にぶら下げている店もある。鶏の場合は、客の目の前で処理され、血液も無駄にすることなく提供される。

 カンボジアには一つの教えがある。子どもが年配者に「鬼は本当に存在するの?」と尋ねると、彼らは「鬼は私たちでしょ。私たちは鬼のように毎日、ほかの命を食べて生きているでしょ」と優しく諭すという。

 人の生命は、他の生命の犠牲の上に保たれているという事実。その意識が希薄になりがちな昨今、カンボジアの人々の営みが、大切なことを思い出させてくれる。

(2010/07/29 付)