[第17回]

家あり金なしで帰京

(2017年12月29日 掲載)
潟上市大久保にある父の墓前に手を合わせる筆者(11月1日)

 11月10日。人力車遠征から帰京した。冒険直後はいつも「家なし金なし」だった。遠征に行くときは資金を節約するために家を引き払うからだ。今年も貯蓄は底をつきかけていたが「家あり金なし」だ。これは大きな違いである。活動を支援してくださる方の厚意でほぼ無料でマンションの1室を使わせてもらっている。遠征中は荷物を置きっ放しでよかった。いつもはレンタル倉庫を借りて荷物を詰め込む必要があり、かなりの手間だったので大きな違いだ。冒険前と同じ家に住めることで「もしかしてオレは社会的にちゃんとしてきたんじゃないか」と思ってみたりするが、そもそも34歳であることを冷静に考えると、この感じ方が全くの勘違いであることに気付く。

 帰京した翌日に人力車の仕事に復帰した。生活費を何とかせねばということもあるが、何よりも立ち止まることが怖いのだ。常に走り続ける生き方をしていると立ち止まれない。立ち止まったら今まで積み重ねてきたものが雲散霧消してしまうんじゃないか、もう走れなくなるんじゃないかと、不安で仕方ない。その不安を消すには走り続けるしかない。だが身体は正直だった。遠征中から腰に違和感があったが、ウェイトトレーニングの最中に大きな木槌で叩かれたような衝撃が走った。ヘルニアには至らないものの、筋肉炎症を起こして動けなくなった。状態は回復に向かっているが、今度は全身じんましんが発症した。これも遠征終盤から出ていたが終了後にドンドンひどくなり、ある日だしぬけに唇が3倍くらいに腫れ上がった。さすがに病院に行ったところ、疲労とストレスで免疫力が下がっているとのことだった。

 人から見ると自由で気楽そうな生き方に見えるかもしれないが、見えないところで悩みとストレスを抱えている。長期遠征で疲労も溜まっている。それが一気に爆発した。座っていると腰が痛く、全身にむくみが出て痒い。数日間は布団の上に芋虫のように転がった。毎日身体を動かしてきた人間にとって動かせないのは辛い。来年の南極に向けて準備を進めなければ間に合わないと焦燥感もある。しかしながら今の僕にとって必要なのは酷使した身体を次の挑戦のために整えることなのだろう。走り方だけではなく休み方も覚えなければならないのだ。思えばチャレンジ終了後に番外編をやったのも原因だろう。

 10月29日。人力車で日本を6400キロ走って縦断し、目的地である白瀬矗(のぶ)中尉の墓前に手を合わせた。冷たい雨が降るなか100人近くの人が待っていてくれ歓声のなかを走る感動的なゴールだった。まさに夢幻のような1日だったが、次の日には番外編でさらに100キロ走って父親の墓参りに向かった。個人的な気持ちとしては父親に無事を報告しなければ気が済まなかった。

 3日間だがキツイ行程だった。初日は7号線を北上。日本海から吹き付ける風速10メートルの向かい風のなか運行する。人力車は車体が大きいので、通常は強風の日に運行しない。本編ですら風速10メートルを超える日は行動を控えていたが番外編は予備日を設けていないので進まざるを得ない。7号線は場所によっては吹きさらしだ。正面から風を受けると全く進まないどころか、何度も押し返される。手を離すと人力車は勝手に走っていって消えてしまうだろう。車とぶつかったら大惨事になりかねない。人力車の幌が壊れそうにきしむ。最後の最後で壊れたらたまらない。気温は10度程度だが風のせいで体感温度は0度に近く、走っていても指先が冷たくて仕方ない。初日は道の駅いわきでテントを張る。まさか地元秋田の道の駅で人力車の横にテントを張って寝る日がくるとは思わなかった。2日目は秋田市内を駆け、3日目に父親の墓参りをした。子供時代を過ごした潟上市大久保に父の寺と墓がある。父がいる円福寺には過去に白瀬中尉の血縁者が嫁いでいて不思議な縁を感じる。

 生まれ育った秋田を人力車で走れるのは感無量だ。秋田県内ではメディア露出もかなりあったので、すれ違う車から頻繁に声を掛けられる。友人たち先輩たちが会いに来てくれる。全国の一宮を参拝し日本中の景色を見てきた。ましてや冒険を通して世界中の絶景と言われる景色ばかり見てきた。今の僕には比較できる対象が沢山ある。そんな経験をして分かったことがある。

 「祖国日本は美しい。地元秋田は美しい」

 こんな簡単な真実に気付くのに随分時間がかかったものだ。こんな満ち足りた気持ちで秋田の空を見上げたのは初めてだ。僕の生き方は間違っていないと確信できる。人それぞれの生き方があり、何が正しいということはないかもしれない。信じる道をただただ真っ直ぐ歩いていけばいいのだ。信じた先に何があるか分からない。不安な方に突っ込むから葛藤があり成長がある。

阿部 雅龍(あべ・まさたつ)
1982年秋田市生まれ、潟上市(旧昭和町)育ち。「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける。秋田大在学中の2005~06年、南米大陸のエクアドルからアルゼンチンまで1万1000キロを自転車で縦断。10、11年に北米ロッキー山脈の計5300キロを縦走。12年に南米アマゾン川1200キロをいかだで下った。14、15年はカナダ北極圏で計1250キロを単独踏破。16年はグリーンランド北極圏750キロを単独踏破。19年に白瀬中尉の最終到達点「大和雪原」を経由して、南極点まで単独踏破することを目指している。普段は東京・浅草でトレーニングを兼ねて人力車を引き、全国各地での講演活動も積極的に行っている。著書に「次の夢への一歩」(角川書店)がある。