[第12回]

山田憲三郎・大衆文化を支えた男(3)新聞記者から雑誌編集へ

(2018年3月10日 掲載)

人脈生かし、面白企画

 1929(昭和4)年に刊行された「美人の秋田」によって山田憲三郎の人物像がおぼろげながら見えてきた。

 まずは憲三郎が「美佐十(みさと)」というペンネームで書いた編集後記から、この雑誌を刊行する以前に彼は東京日日新聞(現・毎日新聞)の記者をしていたことが分かった。雑誌を作るにあたり、記者時代に培った経験や人脈は欠かせなかったと思われる。そして読んでいて一番強く感じたのは、彼がとても企画力に富んだ人物だということだ。