碑は語る(3)石沢地区・学童疎開・由利本荘市 もてなしの陰に苦労

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旧石沢村に疎開した生徒の名を刻んだ石碑=由利本荘市館
旧石沢村に疎開した生徒の名を刻んだ石碑=由利本荘市館

 1944年6月30日、東条英機内閣は大都市部の児童を地方の農村へ移住させる「学童疎開促進要綱」を閣議決定した。

 全国疎開学童連絡協議会(東京)の調査によると、敗戦までに60万人以上が40府県に疎開。県内各地でも約3千人を受け入れた。

 受け入れ先の一つ、由利本荘市の山あいにある旧石沢村には、45年5月に109人が疎開した。東京女子高等師範学校付属高等女学校(現お茶の水女子大付属高校)の1、2年生たちだ。

 生徒たちの戦後の手記をまとめた96年の文集「水の瀬きよき」には、疎開当時の思い出が並ぶ。

 「朝、障子を開けるとすがすがしい朝日が照り輝き、美しい鳥海山がすっきりと見える。希望に満ちながら床をたたんだ」

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【文献】

・「学童疎開の記録1~5」(全国疎開学童連絡協議会編、1994年)=疎開生活の様子を生々しく記した児童の日記や体験記を掲載。疎開中に亡くなった児童数や死因についての調査結果なども詳述している。
・「水の瀬きよき」(本荘市編、1996年)=石沢村に疎開した女子生徒らが当時の生活をつづった文集。2015年に改訂版を発行。

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