碑は語る(5)土崎空襲・秋田市 景色に埋もれゆく傷

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大濱稲荷神社の歴史が刻まれている石碑。所々に弾痕がある。14日、殉職した社員の慰霊のために油槽所の社員が神社を訪れた=秋田市土崎港のJXTGエネルギー秋田油槽所敷地内
大濱稲荷神社の歴史が刻まれている石碑。所々に弾痕がある。14日、殉職した社員の慰霊のために油槽所の社員が神社を訪れた=秋田市土崎港のJXTGエネルギー秋田油槽所敷地内

 「何で爆弾が落とされたの?」。秋田市土崎港の「土崎みなと歴史伝承館」を訪れた小学生の男の子が、どろどろに焼けただれた柱や壁の前で、母親にそう尋ねた。

 同館は今年3月にオープン。73年前に地元を襲った空襲の一端を伝えている。

 1945年8月14日、土崎港の日本石油秋田製油所(現JXTGエネルギー秋田油槽所)は、火の海となった。130機のB29が約1万2千発の爆弾を落とし、土崎全体で約250人の死者が出たとされる「土崎空襲」である。

 攻撃目標となった製油所は壊滅的被害を受けたが、圧縮機室として使われていた建物は被害を受けながらも崩れることなく残り、爆撃のすさまじさを伝える「被爆倉庫」として保存されてきた。安全面への配慮から取り壊しが決まり、一部を移設したのが、伝承館に展示されている柱や壁。倉庫のあった場所は雑草の生い茂る空き地となった。

(全文 1435 文字 / 残り 1063 文字)

【文献】

・「最後の空襲土崎の記録」(秋田市、2011年)=遺構の写真や空襲体験者の証言などをまとめた一冊。大濱稲荷神社の石碑の写真説明文には「弾痕が残る」との記述がある。
・「復興史」(日本石油秋田製油所、1953年)=爆撃を受けて壊滅した秋田製油所を復旧し、新たな設備を導入して発展した歩みを記述。
・「日本における戦争と石油」(石油評論社、1986年)=米国の調査報告を翻訳。爆撃を受けた全国の石油工場について、使われた爆弾の種類や与えた損害について分析している。

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