夏の甲子園100回 金足農が挑んだ「逆境」

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夏の甲子園決勝で大阪桐蔭に敗れ整列する金足農ナイン。無念さと全力を尽くした満足感が交錯した
夏の甲子園決勝で大阪桐蔭に敗れ整列する金足農ナイン。無念さと全力を尽くした満足感が交錯した

 第100回全国高校野球選手権記念大会は、大阪桐蔭(北大阪)が史上初となる2回目の春夏連覇を果たして幕を閉じた。公立の農業高校による快進撃が日本中の話題をさらった金足農(秋田)は、優勝にあと一歩、及ばなかった。長い歴史の中で優勝校に名を連ねているのは全国にわずか60校。秋田県勢として99大会ぶりにその座に迫った金足農の躍進は、さまざまな逆境を跳ね返した価値あるものだった。

【名門旧制中学から公立実業校の時代へ】

 優勝校の顔触れの移り変わりは、時代相を色濃く映し出す。

 「全国中等学校優勝野球大会」として1915年に始まった大会の優勝校は当初、京都二中(京都)や愛知一中(愛知)など、いわゆる「ナンバースクール」を中心とする各地の名門旧制中学が大半を占めていた。最初の潮目は1920年代半ば。野球人気の高まりの中、実業系の学校が有力選手の獲得に力を入れ出し、広島商(広島)や高松商(香川)などが王座に名を連ねた。旧制中学から主役の座は移ったが、優勝争いの中心は一貫して公立校だった。

 太平洋戦争による中断後、学制改革を経て文字通りの「高校野球」となってからも、公立上位の状況は続いた。

 高度経済成長期に入った1955年代半ば以降は、進学率の高まりなどを受けて全国に相次いで新設された私立校が野球部強化に力を入れ、強豪校が各地に誕生。1960年代に入ると優勝校は公立と私立の割合が拮抗するようになった。

【バブル期以降、優勝校は私立に固定化】

 決定的だったのは1980年代半ばから1990年代初めにかけてのバブル経済期。資金力を生かして野球部強化に力を入れる私立が上位に立った。

 その後は強豪校が県境を越えて有力選手を獲得する傾向が強まり、私立上位の構図が固定化。1990年以降、公立の優勝は3度しかない。

 金足農は登録18選手全員が県内出身者。一方の大阪桐蔭は12道府県の出身者で構成していた。

【日本海側、栄冠遠く 地域の経済力反映】

 優勝校の地理的分布から見て取れるのは、特徴的な偏在だ。

 都道府県別の優勝回数が最も多いのは大阪(13回)。愛知(8回)、東京、兵庫、神奈川、和歌山、広島(7回)が続く。

 優勝経験の有無で47都道府県を分けると、優勝経験があるのは28都道府県、ないのは秋田を含む19県。

 社会経済的な視点を加えると、長く日本経済の中心だった「太平洋ベルト」に属する17都府県のうち16都府県が「優勝あり」。一方、日本海側のみに海岸線を持つ9府県のうち京都を除く8県が「優勝なし」に入る。太平洋側に対する社会的格差を指していう「裏日本」に属する県だ。

 さらに、東北はいずれも優勝経験がない。

 秋田のチームはこうした構造的な不利が重なった状況下にある上、金足農は近年全国的に甲子園から遠ざかっている農業高校という条件も重なる。

 金足農の快進撃に全国から多くの声援が寄せられた背景の一つには、百余年の歩みの中で強者が固定化していった高校野球の現状がにじんでいるといえそうだ。

【大エース復活の潮流 公立にもチャンスか】

金足農・吉田輝星は秋田大会から甲子園まで全11試合に登板。93回で119奪三振、1517球を投げた

 「太平洋ベルト」の大半に優勝経験があり、「裏日本」や東北には優勝経験がないといった、社会情勢を反映した傾向はなぜ生じるのか。

 「高校野球100年史」などの著書がある野球史研究家の森岡浩さん(57)=神奈川=は、「マイナー競技は指導者や練習環境に左右される部分が大きいが、屈指のメジャー競技である高校野球は、競技人口の裾野の広さなどから、経済力や人口などの地域性がそのままチームの総合力に反映されやすい特徴があるのではないか」と指摘する。

 一部私立に有力選手が極端に集中する一方で、2000年代以降は大エースが復活してきているのが潮流という。ダルビッシュ有(東北-日本ハム-MLB)や大谷翔平(花巻東-日本ハム-MLB)は、1950年代の板東英二(徳島商)、70年代の江川卓(作新学院)らに迫る存在感を甲子園で示した。吉田輝星を擁した金足農の躍進は、大エース復活の潮流の中で公立が有力私立に対抗しうることを示したといえそうだ。

 「今回の決勝は時代を象徴する顔合わせだった。ただ、大阪桐蔭の選手層は他よりも頭一つどころか三つも四つも抜けており、金足農も例年の優勝校のレベルなら優勝できた可能性がある」。森岡さんはそう指摘している。

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