日本の南極観測再開、TDK創始者・斎藤憲三がきっかけ作る

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議事録の写しや色紙などが並ぶ企画展
議事録の写しや色紙などが並ぶ企画展

 一時途絶えた日本の南極観測が1965年に再開されたのは、秋田県にかほ市(旧平沢村)出身でTDK創始者の斎藤憲三(1898~1970年)の国会発言がきっかけだったことが、11日分かった。白瀬南極探検隊記念館(同市黒川)が議事録から、衆院秋田2区(当時)選出議員だった斎藤の発言を見つけた。発言では、日本人初の南極探検隊長・白瀬矗(のぶ)中尉(1861~1946年)と同郷だとも強調していた。同館学芸員の石船清隆さん(43)は「斎藤氏の発言が観測再開の議論の口火を切ったことを広く知ってほしい」と話した。

 斎藤が発言したのは、観測隊の拠点である昭和基地が閉鎖された直後の62年2月の衆院科学技術振興対策特別委員会。斎藤は「文部当局は一生懸命になって教育をやっておるが、その教育効果を昭和基地閉鎖によって抹殺している」と南極観測の再開を求めた。冒頭では白瀬中尉の名を挙げて「同じところの生まれ」「死を決して南極探検に向かった」と紹介した。

 石船さんは、68年に日本人で初めて陸路で南極点に到達した同館の故村山雅美名誉館長と中曽根康弘元首相の関係を調べる過程で、斎藤の発言を見つけた。

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