時代を語る・浅利京子(1)川反の伝統を後世に

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華やかな花柳界があった川反で=13日、秋田市大町
華やかな花柳界があった川反で=13日、秋田市大町

 元川反芸者・若勇こと浅利京子さん(76)=秋田市=に、川反花柳界の歴史とともにこれまでの歩みを語ってもらいます。

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 川反も変わりましたねえ。今の川反通り(秋田市大町)は飲食店が入るビルばかり。私が芸者をしていた頃、通りには料亭や芸者を抱える置き屋が通りに並んでました。舞妓(まいこ)や芸者のブロマイドを売る店もあったんですよ。もう60年も前の話です。

 「若勇(わかゆう)」という名で、舞妓になったのは昭和33(1958)年です。途中、ちょっと離れたこともあるけれど、45歳で廃業するまで川反の花柳界で生きてきました。その頃は川反を代表するような名妓(めいぎ)も健在でしたよ。大きなお座敷では、しばしば「余興」という特別な踊りのプログラムが組まれるんですが、その主役を張るような姉さん(先輩芸者)たちです。

 私はと言えば、そんな姉さんたちの「ピンチヒッター」でした。主役にはなれないけれど、何かあれば代わりに舞台を務める。いつ「出て」と声が掛かるか分からないから、勉強はおろそかにしませんでした。おかげでブランクが長くても、曲が聞こえてくるとちゃんと体が動くんですよ。

 踊りのおかげで、今また人生が変わろうとしています。きっかけは3年前、湯沢の秋田湯乃華芸妓(げいぎ)さんに「川反の踊りを教えてほしい」と依頼されたこと。花柳界を離れてからの20数年はつらいことが多くてね。「私にもできることがある」と本当にうれしくなったんです。

 秋田市で川反のお座敷文化復興を目指す「秋田川反芸妓連」の顧問に委嘱され、あきた舞妓さんたちにも川反の踊りやしきたりを教えています。川反は季節感を大事にする街で、お座敷で披露する踊りも月替わりでした。そんな伝統を、川反で生きようとする後輩たちに伝えていきたい。人生の良い締めくくりができそうです。

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