時代を語る・浅利京子(14)自腹切っても別稽古

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自宅で行われた若吉(手前)の代稽古で(右端)=昭和38年ごろ
自宅で行われた若吉(手前)の代稽古で(右端)=昭和38年ごろ

 芸者は文字通り芸をする人ですから、私も中学生だった昭和32(1957)年に花柳流の踊りを習い始めました。川反では東京から師匠を招いて行う稽古が毎月のようにあったんです。秋田検番(秋田市大町)の主催で、私たちが出している負担金の一部を稽古代に充てていました。私が習った師匠たちは花柳寿美之輔(すみのすけ)(踊り)、常磐津(ときわづ)三蔵(常磐津)、杵屋五三吉(きねやごさきち)(長唄)、望月初子(鳴り物)。それぞれ2カ月置きに来て、1週間続けて稽古をつけました。

 稽古が始まるのは午前9時ごろ。まずは参加者全員で師匠に新しい踊りや唄を教えてもらうんですが、それだけでは上達しません。だから別稽古といって、マンツーマンでも指導してもらいます。そのためには別月謝が必要になりますが、ほとんどの芸者は受けてましたよ。私も置き屋の母・若吉(故人)によって、舞妓(まいこ)の頃から別稽古を受けさせられました。

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