時代を語る・浅利京子(19)抜き打ちで芸を試す

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お披露目直後の記念写真=昭和37年10月
お披露目直後の記念写真=昭和37年10月

 秋田国体から1年後の昭和37(1962)年10月8日、20歳で芸者になりました。京都では舞妓(まいこ)から芸者になることを「襟替え」と言いますが、川反などほかの花柳界では「一本になる」と言います。これは昔、線香1本が燃え尽きるまでの時間を単位にして芸者の花代(代金)を決めていたことに由来するそうです。

 芸者になるための支度は置き屋「若柳」の母(故寺門操さん)がしてくれました。川反では昔から旦那さん(スポンサー)じゃなくて、ほとんど置き屋でやっていたそうなんですよ。まずは「出の着物」、正月用の黒のお引きずりですね。それから出の着物に合わせる日本髪のかつら。黒の紋付きに、母が昔使っていたべっ甲のかんざしももらいました。そしてお座敷で使う三味線。芸者には欠かせないものでしたからね。

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