時代を語る・浅利京子(22)お礼奉公直後に引退

会員向け記事
お気に入りに登録
※写真クリックで拡大表示します
小唄の温習会で踊る(左)=昭和40年、あきたくらぶ
小唄の温習会で踊る(左)=昭和40年、あきたくらぶ

 お礼奉公期間が終わる直前の昭和41(1966)年10月、ごひいき先が主催する大きな会合が秋田市で開かれました。お座敷が連日開かれ、その延長で男鹿で行われる関連行事にも来てほしいと頼まれたんです。他の芸者と合わせて3人で行きましたが、午前中だけだったのでお花代(料金)は頂かなかったんですね。でもそれがルール違反だと姉さん(先輩芸者)たちに問題視されたんです。

 結局、秋田検番の臨時総会を開く騒ぎになってしまった。当時の組合長はうちの置き屋の母(故寺門操さん)だったのよ。「母の顔に泥を塗ってしまっては辞めるしかない」。一本気な性格だったもんだから、そう思い込んでしまったのね。お礼奉公が終わったら芸者を辞めようと腹をくくりました。

※この記事は「会員向け記事」です。電子版への登録が必要です。
(全文 782 文字 / 残り 466 文字)

この連載企画の記事一覧

秋田の最新ニュース