野呂田さん死去、後進育てた「おやじ」 インフラ整備に尽力

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議員生活を終え、取材に答える野呂田さん=2009年7月、衆院議員会館
議員生活を終え、取材に答える野呂田さん=2009年7月、衆院議員会館

 閣僚や自民党の要職を歴任した元衆院議員の野呂田芳成さんが、89年の生涯に幕を下ろした。政治を志す後進の育成にも尽力。秘書時代に薫陶を受けた国会議員や首長らからは悼む声が上がった。

 「野呂田先生と出会わなければ、今の自分はいない。私にとって育ての親」。野呂田さんの秘書を16年間務めた冨樫博之衆院議員(秋田1区)は、そう実感を込める。

 幼少期に父親を亡くした冨樫さんにとって、野呂田さんは「おやじのような存在」。「厳しく叱った後も、フォローしてくれる思いやりがあった。器が大きく、人間性の豊かな人だった」と惜しむ。

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「愛郷無限」が口癖

 野呂田さんは県内のインフラ整備などに尽力した政治家だった。

 元建設官僚。1966年に36歳で茨城県開発部長に出向し、日本最大規模の鹿島臨海工業地帯の開発など巨大事業を手掛けた。活躍ぶりは小説「砂の十字架」に描かれた。同作は、故石原裕次郎さん主演で映画にもなり、野呂田さんがモデルの役は故三国連太郎さんが演じた。

 77年に官僚を辞し、東北や秋田の「後進性」の克服を掲げ、自民党公認で参院初当選。83年に衆院にくら替えし、連続8回当選した。引退するまで議員生活は32年間に及んだ。

 農相や防衛庁長官、衆院予算委員長のほか、自民党道路調査会長など党の要職を歴任。「愛郷無限」を口癖のように繰り返し、大館能代空港の建設や日本海沿岸東北自動車道(日沿道)の整備などに力を注いだ。

 「日沿道を早く仕上げなければいけない。高速道路は全線開通してこそ効果が大きくなる」。引退表明した際の記者会見で、こう力説していた。

 98~99年に防衛庁長官を務めた際は、北朝鮮の不審船への対応で限定的な武器使用が可能な海上警備行動を海上自衛隊発足後初めて発令。護衛艦による警告射撃などが行われ、安全保障史に名を刻んだ。

 信念を曲げない政治家でもあった。小泉純一郎元首相が打ち出した郵政民営化には一貫して反対。2005年の衆院選では無所属で当選した。

 政界引退後は自宅のある横浜市で過ごしながら、東京・神田に自らの事務所を構え、要人と政策について話すこともあった。

 イージス・アショア(地上イージス)配備計画に関し、元防衛庁長官の立場から発言したこともあった。18年1月、本紙の取材に対し、地元に十分に説明しないまま導入を進めようとする政府の姿勢を「言語道断」と批判。「こうした問題は、地元が納得ずくで進めていかないといけない」と語っていた。