北斗星(5月26日付)

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 秋田市の高校の中間試験最終日だった。試験後に行われた全校一斉の避難訓練に参加後、学校近くの下宿に戻って程なく、大きな揺れに見舞われた。倒れそうになる本棚を手で押さえる間、不在の隣室からは物が落ちて割れる音が聞こえてきた

▼1983年5月26日正午すぎ。日本海中部地震である。ただ、その時点では県内で83人、北海道と青森県を含め計104人の犠牲が出る大災害になるとは夢にも思わなかった。揺れが収まると、級友が出る高校野球の試合を見るため、八橋球場まで自転車を飛ばした

▼実家がある沿岸部の町でも甚大な被害が出たことは球場から帰ってラジオで聞いた。慌てて電話をかけたが、なかなかつながらない。家のブロック塀が倒れたものの、家族は無事だと確認できたのは、夜になってからだった。電話の不通は旧電電公社(現NTT)が県内の一般通話に規制をかけたためだと後で知った

▼多くの人命を奪ったのは当時、日本海沿岸では起きないと言われていた大津波。道路は寸断され、大地は液状化した。日がたつにつれて次々判明する被害に、地震の怖さをあらためて感じた

▼きょうは「県民防災の日」。能代市や男鹿市の沿岸の慰霊碑には今年も遺族が訪れ、手を合わせる。大切な人を失った悲しみはたとえ何年たっても癒えることはない

▼県民の中にはあの日の揺れを経験していない人も増えた。尊い命を守るためにどう備え、発生後は何をすべきか、考える一日にしたい。