銃後の記憶(3)学徒勤労動員 空腹耐え工場で奉仕

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学徒勤労動員の状況を振り返る高桑さん
学徒勤労動員の状況を振り返る高桑さん

 戦闘機の主翼や尾翼に使う部品に穴を開け、リベットを打ち込む。毎日午前7時半から10~12時間、工場で汗を流した。「兵隊さんが戦地で苦労しているから、我々も頑張らなければと必死だった」。74年前、15歳だった高桑博さん(90)=秋田市南通=は、学徒勤労動員先の中島飛行機太田製作所(現群馬県太田市)での経験をそう振り返る。

 5人きょうだいの長男として秋田市に生まれた。太平洋戦争開戦の1941年、秋田商業学校(現秋田商業高校)に入学し、終戦の年に卒業した。

 古里を離れたのは4年生だった44年7月。列車に丸1日揺られて群馬に着き、工場から約4キロ離れた寮に入った。8畳ぐらいの部屋に数人が暮らし、少し体を動かすと隣の人とぶつかった。シラミやノミが発生し、衛生状態も悪かった。

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