時代を語る・舘岡誠二(18)「寒鮒俳句会」に参加

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俳誌「青泥」終刊の少し前に創刊された「寒鮒」。表紙は義父・舘岡栗山の絵
俳誌「青泥」終刊の少し前に創刊された「寒鮒」。表紙は義父・舘岡栗山の絵

 私が編集発行人を務め、昭和36(1961)年11月に創刊した俳誌「青泥(あおどろ)」は、49年2月に終刊しました。「二十代作家の集団」の名の下、若手作家の発掘と秋田俳壇の活性化に、大いに役割を果たしたと思っております。菊地酒造店に勤務する傍ら、編集作業が滞って発行が遅れることも度々でしたが、自分が一番燃えた時期だったようにも今、感じています。

 「青泥」終刊の少し前の48年11月、八郎潟町に「寒鮒(かんぶな)俳句会」が再興しました。再興というのは、昭和31年に「一日市俳句研究会」の名で発足したのですが、41年以降、句会が全く開かれていなかったのです。中学教諭の安田龍泉さんを代表に、同人俳誌「寒鮒」を創刊。私も入会し、創刊号から投句しました。第3号から表紙に使われている八郎潟の寒鮒は私の義父・舘岡栗山(りつざん)の作品です。

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