食と戦争:抑留者(上)生きたカエルのみ込む

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中国人が撮影した22歳の小川さん=鞍山市内、1945年5月
中国人が撮影した22歳の小川さん=鞍山市内、1945年5月

 戦後74年。あの夏の「食と日常」の証言から、秋田の人々の戦争の記憶をたどります。

 ◇  ◇

 1945年8月16日、22歳の時に旧満州(現在の中国東北部)の鞍山(あんざん)で終戦を迎えました。その年の冬、「日本に帰れる」と聞いて貨物列車に乗せられました。ところが、だまされて満州里からシベリア鉄道に乗り換えさせられ、旧ソ連のタシケントまで連れて行かれたのです。れんが工場で3カ月ほど働かされた後は、農場に送られました。きつい作業でした。日が昇ると起きて、日が沈むと眠る。どれくらい働いていたかは分かりません。

 ただ助かったのは、この土地はシベリアと違い、真冬でもいくらか暖かかったことです。一日の開墾を終えて宿舎へ帰る前に、畑の周りにいくつか穴を掘っておくんです。直径50センチ、深さ30センチくらいの穴です。すると次の日の朝には、穴の中に小さな青ガエルが10匹、20匹と落ちていました。それをみんなで分けて生きたままのみ込んで、タンパク質を補給しました。

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