食と戦争:主計兵 米一粒、汁一滴でも多く

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海軍通信学校時代、面会に来た母と連れ立って出掛けた写真館での一枚(1943年ごろ)
海軍通信学校時代、面会に来た母と連れ立って出掛けた写真館での一枚(1943年ごろ)

高橋雪雄さん(94)横手市睦成

 「戦争と食事」と聞いて真っ先に思い出すのは、横須賀(神奈川県)の武山海兵団で新兵教育を受けた3カ月間のことです。1943年、18歳の春でした。セーラー服姿の海兵さんに憧れ、親の印鑑を無断で持ち出し軍学校を受験した、軍国少年でした。まぁ、学校を出たら軍を志願するのが流行というか、友達もみんなそうだったんです。

 海兵団では、立派な軍人になるためと歯を食いしばって厳しい訓練に耐えたものの、どうにもつらかったのがひもじさです。とにかく腹が減っていました。

 ◇  ◇

 食べるものがなかったわけじゃありません。麦飯と汁物、おかずが一品とお茶。特に豪華というわけではないけれど朝昼晩、ちゃんと食べられましたよ。だけど酒保(売店)もない、外出の自由もない身にとって、唯一の楽しみが食べることだったから。隣のあいつより、米粒一粒でも多く、汁一滴でも多く自分が食べたい。恥ずかしながら、本当の気持ちでした。

 食事の盛り付けは班ごとにするのですが、自分が当番になった日は頭を働かせてね。だいたい何番目に盛った皿が自分の席に配られるか、見当をつけるわけです。それで汁物だったら具を、何食わぬ顔をしながら、多めにすくって入れておく。

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