時代を語る・佐藤清太郎(3)金足農で退学騒ぎも
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久吉じいさん(故人)は、私が昭和35(1960)年に下浜中学校を卒業したら、「でっち奉公」に出すつもりだったそうです。人さまの家で住み込みで働いてこそ一人前になれるという考えでした。
おやじの清一郎と叔父の兼次郎(ともに故人)は違っていました。高度経済成長の真っただ中にあり、教育の重要性が広く知られてきていました。おやじと叔父は私を金足農業高校へ進学させたいと思っていたようです。久吉じいさんとは、卒業後、山持ちの家か林業関係の問屋へ奉公に出すことで折り合いをつけたという話でした。
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