時代を語る・佐藤清太郎(4)約束通り「でっち奉公」
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昭和38(1963)年3月、金足農業高校を卒業するとともに、県外へ「でっち奉公」に出ることになりました。久吉じいさんが高校進学の代わりに付けた条件です。
本来なら全国に名の知れた栃木県の林家にお世話になるはずでした。ところがどういう訳か林家から色よい返事をもらえませんでした。代わりに行ったのが長野県のほぼ中央にある下諏訪町という所です。県の農業研修生として花の栽培を教わることになりました。じいさんとすれば、花でもいいから、住み込みで下働きする経験を積んでこいということだったようです。
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