時代を語る・佐藤清太郎(5)最初の試みは花栽培
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研修先の長野県から生まれ故郷の秋田市下浜に帰ってきた昭和38(1963)年秋、当主の久吉じいさんは既に隠居。おやじの清一郎とおふくろのミツ子が主に農業と山林を、叔父の兼次郎が製材所をそれぞれ切り盛りしていました。
私は稲刈りを手伝ったり、おやじの炭焼きに付いて行ったりしていましたが、長野での研修を生かさない手はないと、切り花の生産を思い立ちました。「事業に失敗は付きもの。何でもいい。まずやってみよ」というじいさんの言葉も背中を押してくれました。
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