北斗星(10月25日付)

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 待たせることは嫌いだが、待つことは案外好きである。特にこの季節。学生時代にはよく喫茶店で文庫本を読んだり、物思いにふけったりしながら、いつ来るとも知れぬ友人を待っていた

▼日本語学者の森田良行さんが「日本語をみがく小辞典」(角川ソフィア文庫)で待つという行為について論じている。古くは、船の出発時刻を月の出方や潮の満ち引きで決めていた。万葉集にある額田王(ぬかたのおおきみ)の「熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出(い)でな」の和歌からもうかがい知れる

▼平安時代には、貴族たちが観賞するために月を待った。立待の月、居待の月、寝待の月など同じ待つにしても多様な表現がある。日常生活で何かを待つことはままあるが、その行為は時代とともに変化してきた

▼いつも何かに追いたてられているような気ぜわしい今の世の中である。悠長に月の出を待っている時間など、もはやなくなったのかもしれない。そもそも月をめでる機会も少なくなった

▼ただ恋する人を待って胸を焦がす心情だけは古今東西を問わないと、森田さんは指摘する。その上で額田王の「君待つとわが恋ひ居(お)ればわが屋戸(やど)の簾(すだれ)動かし秋の風吹く」を紹介している。何ともロマンチックな一首である。人恋しくなる秋にぐっと胸に迫ってくる

▼携帯電話やメールの普及により、待ち合わせ相手との連絡は簡単に取れる。それでもたまにはゆっくりと待つという行為を楽しみたい。「待つ間が花」という言葉もある。