阿部雅龍:爆弾低気圧の宗谷岬にて

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日本最北端の地・宗谷岬に立つ筆者(令和2年元旦)
日本最北端の地・宗谷岬に立つ筆者(令和2年元旦)

阿部雅龍コラム 冒険と人力車の日々(27)

 令和2年元旦。日本最北端の地・宗谷岬に僕は立っていた。爆弾低気圧で天気は大荒れだ。気温マイナス10度。風速20メートルの風が吹き、体感気温はマイナス30度。ちょっとした南極みたいな感じで心地良い。

 札幌から400キロの行程を、ソリを引きながら歩いて宗谷岬に到達し、日本最北端の初日の出に南極の誓いを伝える。そのためにここに来た。

 昨年11月に2度目の南極冒険へ出発する予定だった。白瀬矗中尉の最終到達点・大和雪原からルートを延ばし、南極点にたどり着くことを公言していた。しかし出発1カ月前というタイミングで、大和雪原まで僕を運んでくれるはずだった飛行機会社から、翌年への延期を一方的に告げられた。資金もある、装備もある、体力も万全。自分の周りの全ての環境が整う中、延期を発表するのは断腸の想いだった。絶望に心が囚われそうになった。目の前に見えていた光が急に消えるのは恐怖だ。だが起きたことは変えられない。ノックダウンされた後に立ち上がる早さがこそが差を生み出す。落ち込んでいる場合ではない。

 冬の北海道を歩くのはトレーニングの意味もある。普段から体を鍛えることをベースに生活しているが、極地でソリを引くのは特殊な行為だ。一番いいトレーニングは実際にソリを引いて歩くことだ。ここ数年は北極や南極に遠征を重ねて鍛錬してきた。それを継続しなければ再び南極点に到達することはできない。

 北海道でも多少は耐寒訓練になると思った。今回の行程では気温マイナス18度までしか下がらなかったが、ぬくぬくと家で寝るよりもテント泊する方がいいのは間違いない。

 札幌入りすると、まずは蝦夷一宮である北海道神宮に昇殿参拝した。出発地は赤レンガの旧北海道庁舎とした。白瀬矗中尉は北海道庁で働いていた時期がある。明治期から存在しているこの庁舎に通っていたのかと思うと感慨深い。白瀬の残留思念が僕をここに導いたのかもしれない。

 雪の上でソリを引こうと思って北海道に来たのだが、例年になく雪が少ない。札幌に至っては12月下旬なのに積雪ゼロ。地元の人が「こんな冬は初めてだ」と言う程だ。雪のない幹線道路沿いを、ソリに台車を取り付けてガラガラ引いて歩く。道行く人からは滑稽に見えただろう。

 南極に比べれば寒さは大したことはないし、テントで過ごす氷点下の夜も慣れたものだ。毎日歩き続けると野生の感覚のようなものが戻ってくる。五感が鋭くなってくるのだ。旭川まで150キロメートルほど北上すると雪がうっすらと積もっていた。台車を外してソリを引き始めたが、アスファルトの舗装路とソリのランナーが擦れてしまい、最終的にはほぼ全てのランナーがはげてしまった。積雪が少しでもあると台車の滑車は使えなくなる。中途半端な積雪に苦しめられた。

 最も危険を感じたのは自動車だ。歩道が雪で完全に埋まっていれば車道を歩くしかない。集落から離れると歩道はなくなり、車道だけになる。地吹雪の日も、事前に定めた行程をこなすため歩く。10メートル先が見えないホワイトアウト状態になることもある。ドライバーも、まさかこんな日にソリを引いて歩いている変わり者がいるとは思わないだろう。反射板付きのベストを着て、赤色ランプをソリに取り付け、後続車をしっかり見て歩くなど注意が必要だ。ホワイトアウトでもブリザードでも野外で行動できる装備とスキルはある。だがトラックに衝突されたら一たまりもない。

 徒歩自体はかなりハードだ。50キロのソリを引いて毎日40キロ近い道のりを歩く。空身で歩くのとは疲労が全く違う。日没後は車が怖いので歩きたくない。冬至に近い時期なので日照時間は約9時間しかない。だから行動中はほとんど休憩することなく歩き通す。

 歩き初めは足首が痛くなる。足首をかばっていると腰や腕に痛みは広がる。世間はクリスマスや年の瀬で盛り上がっている。冷たいテントの中で37歳の誕生日を迎えた。「自分は何をしているのだろう」と思うこともある。それでも歩く。行動している限り、夢のかがり火は近付いてくる。その輝きが疲れた身体をどこまでも動かしていく。

 1日の休みも入れず、13日かけて宗谷岬にたどり着いた。大荒れで初日の出を見ることはできなかったが構わない。大事なのは自分の意志でここまで来たということだ。宗谷岬のモニュメントを前に、見えない初日の出に向かって二礼二拍手一礼をする。今年は白瀬の夢を完結させる年にするのだ。

 正月は秋田の実家に戻った。毎年この時期は冒険していることが多いので、10年振りに地元で新年を迎える。僕の地方では三が日にトロロ飯を食べる風習がある。祖母が作る醤油出汁のトロロを久しぶりに食べることができ、うれしかった。どんぶりで3杯お代わりした。胃袋を休めるどころか、苦しくなる。幼少期に食べたトロロ飯が正月の味だ。

 80過ぎの祖母は戦後に樺太から稚内経由で秋田に引き上げてきたという。もう少し遅かったらロシアの占領により樺太の人間になってしまうところだったと、懐かしそうに語っていた。そのまま樺太に残留せざるを得ない人たちもいたし、諸事情で秋田まで戻れず稚内に残った人も多かったと聞く。秋田県人会が日本最北の町である稚内にもあると知った。先人たちの行動と歴史を肌で感じる。旅にはそんな魅力がある。

 祖母から樺太の話を聞いたことはなかった。僕が宗谷岬に行ったからこそ語ったのだろう。歴史の生き証人は身近なところにこそいるものだ。祖母の違う一面に触れることができてよかった。南極のような海外遠征は派手であるが、日本という國をもっと知らねばならないと改めて実感できた。

 旅に出よう。自分の目で見よう。日本は驚きにあふれている。