秋田のメダリスト:4大会で金5、銀4、銅4 小野喬さん(88)=能代市出身

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東京五輪の開会式で選手宣誓をする小野さん=1964年10月10日、国立競技場
東京五輪の開会式で選手宣誓をする小野さん=1964年10月10日、国立競技場

 1952年のヘルシンキ五輪から、56年のメルボルン、60年のローマ、そして64年の東京と4大会連続で五輪に出場し、金メダル5個、銀4個、銅4個を獲得しました。

 常に「進取の精神」で練習に取り組み、新しい技を開発して競技に取り入れた。五輪に向けてまさに「練習の虫」となって努力したものです。

 〈体操との出合いは小学生時代。全国優勝した能代中体操部の模範演技を見て感動したのが競技を始めるきっかけとなった。中学2年で終戦を迎えると、同中体操部の活動が再開され、体操にのめり込んだ。初の五輪出場は東京教育大(現筑波大)3年の時だった〉

 4回出場したうち、ヘルシンキ五輪は初出場の喜びがありました。跳馬で銅メダルを取れた。メルボルン五輪の大会前、3カ月かかって当時としては鉄棒の大技「ひねり飛び越し」を会得。日本選手として、この種目で初めて金メダリストになりました。

 「鬼に金棒 小野に鉄棒」という言葉が使われるようになったのはこの頃からです。

 〈ローマ五輪では3個の金メダルを獲得。体操ニッポンの礎を築いた〉

 日本が団体総合で初めて優勝し、個人では鉄棒で連覇でき、跳馬でも優勝しました。どの大会も金メダルを取ったという喜びより、自分の技が成功してライバルに勝てたことがうれしかった。

 〈33歳で東京五輪を迎え、日本選手団の主将という大役を担った。開会式では雲一つない秋晴れの下、出場選手を代表して宣誓をした〉

 大会の1カ月前に決まってびっくりしました。引き受けたからにはしっかりやりたいと思い、練習の合間に選手宣誓の練習を行っていました。

 当初、宣誓文を宣誓台の上に置いてほしいと頼んだのに断られました。本番では台の上に置いてありましたが、宣誓文は見ませんでした。最後に「オノ・タカシ」と読んだ瞬間、ハトが空に飛び立って一段落。その後は体操に集中しました。

 〈団体メンバーとして金メダルを獲得。秋田市出身の遠藤幸雄が日本選手として初の個人総合の金メダルを獲得した〉

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