ひとり考:大好きだった姉 国家に奪われた尊厳
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1枚の写真がある。寄り添って写るのは、軍服を着た夫と和装の妻。夫の出征が決まり、2人並んで撮った最後の写真だ。
妻の名はハルさん。1924(大正13)年、横手市に生まれた。祖父も父も教師で、ハルさんは横手高等女学校(現在の横手城南高)で学んだ。
「ハルさんは編み物が好きな人でした。手先が器用で、近所の子どもに手袋や靴下、セーターを編んだりしてました」。そう振り返るのは、弟の長沼宗次さん(87)=横手市=だ。
宗次さんは6人きょうだいの末っ子。ほかに3人の姉がいたので、宗次さんは「ハルさん」と名前で姉を呼んでいた。2人は特に仲が良かった。
ハルさんが結婚したのは40(昭和15)年、女学校を卒業して間もない16歳の時だった。相手は家父長である祖父が決めた男性だった。「ハルさんは成績が良く、学校では進学を勧められたようでしたが、祖父に言われるまま結婚しました。そういう時代でした」と宗次さん。
だが2年後の42(昭和17)年、夫に赤紙が届く。18歳のハルさんは夫を見送り、嫁ぎ先に残って帰りを待ち続けた。