新あきたよもやま:ナマハゲがいるところに人形道祖神はいない

お気に入りに登録

小松和彦コラム 新あきたよもやま(21)~サイノカミとナゴメハギ①

 私とイラストレーターの宮原葉月さん(神奈川県出身)によるユニット「秋田人形道祖神プロジェクト」がこれまで2冊刊行した書籍『村を守る不思議な神様』のキャッチコピーは「なまはげだけが秋田じゃない」である。

 このコピーは宮原さんが発案したものだ。私は当初「人形道祖神の本なのに、どうしてナマハゲ?」と疑問に思ったが、宮原さんによれば県外の人が秋田の伝統文化と聞いて連想するのは圧倒的にナマハゲなのだという。実際、彼女がツイッターでこのコピーを使い本の発売を告知したところ、なんとリツイート数が3000を超えた。

 人形道祖神の取材を進めるうちに別の意味でナマハゲを意識するようになった。ナマハゲが行われる地域には人形道祖神を祭る風習がないのだ。

 カシマサマ、ショウキサマなどと呼ばれ、ワラや木で作られる人形道祖神は大館市、能代市を中心とした県北内陸部、そして仙北市から湯沢市にかけての県南内陸部を中心に分布している。そしてナマハゲ行事は男鹿半島を中心に能代からにかほ市にかけての沿岸部に分布する。『村を守る不思議な神様2』(2019)ではナマハゲと人形道祖神が共存しない理由について「両者に共通する祖霊神としての性格が重なるためではないか」と考察した。

 年に一度、大晦日や小正月に人が仮装して神の化身となるナマハゲ。一年を通じて、村境に祭られる人形道祖神。信仰の形態は違うが、どちらも「村の守護神」であることには変わらないのではないか。それを確認するためにも県内の来訪神行事を取材してみなければと思っていた。

来訪するサイノカミ

 ナマハゲの最も古い記録は文化8年(1811)の小正月に菅江真澄が男鹿で記録したもの(『牡鹿乃寒かぜ』)だ。それとは別に、道祖神が子供たちと町を巡行する小正月行事があったことが当時の資料に出てくる。現在の秋田市中心市街地にあたる久保田城下で行われていた「塞ノ神(さいのかみ、さえのかみ)祭り」だ。サイノカミとは道祖神の和名である。

『秋田風俗絵巻』に描かれたサイノカミ祭りの様子。先導する男がサイノカミのお堂を背負っている

 サイノカミ祭りは、先導役が男女一対の紙雛(紙で作った人形)を納めたお堂を背負い、町民の子供たちが城内や武家の屋敷などを巡って、「ほたき棒」で床を突きながら祝い唄を披露するというもの。「ほたき棒」とは木を削って彩色した男根形の棒で、お堂にも人形と一緒に入れてあったという。お堂に祭られている男女の人形はサイノカミのご神体であろう。

『秋田風俗問状答』に描かれたサイノカミ祭りの先導役と)まで「ほたき棒」(国会図書館蔵)

 江戸時代に文化年間(1804~1818)に書かれた『秋田風俗問状答』によると、久保田城内で子供たちが唄ったのはこんな詞だったという。

 「サイノカミのお祝いは、戌亥の隅に甕7つ、7つの甕に湧く泉、若君様13人、お姫様13人、これのやかたのご知行は萬々億々数知らず、四方の山よりこがねしろがね湧くように、湧くように」

 祭りの様子は江戸後期の絵師・荻津勝孝の作と伝えられる『秋田風俗絵巻』に描かれている他、菅江真澄、津村淙庵の日記などにも記録されている。

 菅江真澄はサイノカミ行事について「これは元々、男鹿の人々の行事であったが、大雪でできなくなったのを機に城下で行う様になった」(要約・『笹ノ屋日記』)と記している。この行事のルーツがナマハゲの本場、男鹿にあるという伝承は大変興味深い。

 久保田城下のサイノカミ祭りは藩政時代の記録にあるだけだが、今でもこれとよく似た祭りが大晦日から元旦にかけて能代市で行われているという。

 「大晦日には集団でおこなわれる行事がいくつか見られる。能代の南では、なごめはぎ(ナゴメハギ)があり、北では塞ノ神(サイノカミ)がある。」(『能代市史特別編・民俗』、2004)

 ナゴメハギとはナマハゲに類似した来訪神行事で秋田自動車道能代南インターチェンジ近くの浅内(あさない)地区に伝えられている。サイノカミ祭りは米代川の右岸、荷八田(にはた)地区の行事。能代市では米代川を挟んで北にサイノカミ、南にナゴメハギという、2つの異なる神々が大晦日にやってくるというのだ。

ジジとババ

 2019年2月23日、『村を守る不思議な神様2』のための取材で私と宮原さんは荷八田地区を訪れた。荷八田は東能代駅の米代川を挟んだ川向かいに位置する約60戸の集落。住民の7割が大高姓である。

 集会所で大高銀市さん、大高鉄徳さん、大高敏さんに取材させていただいた。お三方とも年齢は60代。荷八田の重鎮である。

荷八田の集会所に保存されているサイノカミのオドッコ(お堂)

 サイノカミ祭りは残念ながら12年前からやめていた。集会所の広間の奥に祭りで使われたお堂が安置されている。高さは50センチほど。その上に「ほたき棒」を模した思われる竹に色とりどりの色紙を装飾した棒が3本立てられている。お堂の中には高さ20センチほどの男神と女神の木像が祭られていた。能の「高砂」に出てくるお爺さん、お婆さんの風貌だ。この2体がサイノカミのご神体である。

オドッコの中に祭られているご神体、「ジジ」と「ババ」

 地元の皆さんは男神を「ジジ」、女神を「ババ」と呼んでいたという。また、国生み神話の神々「イザナギ」、「イザナミ」とも解釈されていたらしい。ジジとババが入ったお堂は「オドッコ」と呼んでいる。

 かつては子供の数が多く、3つの町内に分かれ、それぞれでオドッコとサイノカミを作った。参加できるのは中学2年生までの男の子。大晦日になると体の大きな子供がオドッコを背負い、列をなして集落の一軒一軒を周る。玄関から入るとサイノカミを正面に向け、子供達がこんな祝い詞を唄った。

 「サイノカミの御詠には、戌亥の隅に甕7つ、男の子も13人、孫こ、曾(ひ)こ、玄孫(やしゃらご)、玄孫の代まで(中略)御簾(みす)の旦那の石(ごく)獲れは、千石万石数知れず、四方の蔵からは、善と金ザックラザックラ湧くように湧くように」(大高敏さんからいただいた資料より)

 詞の内容は久保田城内で唄われたサイノカミの詞と共通する点が多いことが分かる。久保田城が藩主に対する言祝(ことほ)ぎであるのに対し、こちらは家の主人に対して、という違いだけだ。

 子供たちが唄うと、その家の人たちはお賽銭やお供えをあげてサイノカミに無病息災、家内安全を祈願した。『能代市史特別編・民俗』によるとこの祭りは元々、小正月に行われていたという。

 こうしたサイノカミ行事は荷八田にだけ伝えられていたのではない。『能代市史』によると荷八田周辺の能代市真壁地(まかべち)、朴瀬(ほうのせ)、吹越、鳥形、さらに秋田市の上新城にも同様の行事があったという。

 以前、この連載でも紹介した五城目町下山内の畠山鶴松翁はかつて1月16日に行われていたサイノカミ祭りを記録している。下山内では人形やお堂は無かったが、「塞ノ神の棒」と呼ばれる「ほたき棒」とよく似た木の棒を子供たちが持ち、唄いながら家々から餅や銭をもらい歩いた。前日15日の夜にはナモミハギというナマハゲに類似した来訪神が家々を周った。

畠山鶴松が描いたスケッチからナモミハギ(右)とサイノカミの行事(左)

 鶴松翁によれば「塞ノ神は、明治以前から受け継がれて来たものだそうで(中略)長命して幸福になることを祈願して行われるものであると伝えられている」(『村の落書き』、1984)という。

 人形道祖神研究の第一人者で民俗学者の神野善治氏は小正月に小さな道祖神の人形が子供たちと共に家々を訪ねる行事を山形県、新潟県、長野県で調査し、これを「道祖神の勧進」として紹介している(『人形道祖神―境界神の原像』、1996)。荷八田のサイノカミ祭りとよく似た特徴を持ち、同系統の祭りと解釈してよいだろう。

 これらの行事に共通するのは子供が主役であることだ。実際、参加していた子供たちにとってどんなお祭りだったのだろうか。

「新あきたよもやま」の過去記事はこちら