北斗星(4月25日付)

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 少し先の地面をじっと見詰めるようにして黙々と走る姿が記憶に残っている。会場に紹介のアナウンスが流れても気にしない様子だった。四半世紀ほど前、旧雄物川町のマラソン大会で目にした大館市出身のマラソンランナー、山田敬蔵さんの雄姿だ

▼1952年のヘルシンキ五輪に出場。翌年のボストンマラソンで優勝を果たし敗戦間もない日本人に勇気を与えた。帰国した山田さんは秋田、大館両市で大歓迎を受けた。当時の本紙には「出迎えの人々に埋められたホームに万歳々々の歓呼が湧き起こる」とある

▼この年に始まった大館の山田記念ロードレース大会には2012年まで招待選手として参加。県内各地の大会にも招かれた。身長157センチ、フルマラソンを約340回走破した。80歳を過ぎても走り続けた情熱に頭が下がる

▼山田さんが92歳で亡くなった。約30年前のインタビューで、支えてくれた郷里の人への恩返しとして「死ぬまで走り続ける」と話していた。生涯に走った距離は師と仰ぐ日本初の五輪選手、金栗四三(かなくりしそう)の25万キロを上回り、35万キロを突破した

▼今夏に開催予定だった東京五輪は猛暑対策としてマラソン会場が札幌市に変更され、さらに新型コロナウイルス感染拡大を受け来年に延期になった。きっと五輪のマラソンを見たかったことだろう

▼山田さんをはじめ多くの先人が努力したかいあってマラソンは日本のお家芸となった。その復活を目指す日本勢の活躍を天上から見守ってほしい。

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