遠い風近い風[小嵐九八郎]コロナ以後への杞憂
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コロナ禍で世の中が騒然となり始めた2月下旬頃から「三密は避ける」という言葉が頭の中だけでなく、目ん玉の芯、耳の鼓膜、鼻の奥まで浸(し)み、刻み込まれ、こびりついてきた。
もっとも、国の「三密」の正式な定義を知ったのは、もう品薄ではなく簡単に入手できるマスクが仕事場の郵便受けに6月初(しょ)っ端(ぱな)に入ってきて「密閉空間」「密集場所」「密接場面」と記してあったことからだ。
それで、今後も幾度かぶり返しはあるだろうが、新型コロナウィルスに感染しなくなるのは、当方の無知ゆえの当てにならぬ予測では「国民の半分ほどが症状に重さ軽さの差があっても感染し、免疫力を持つ」、「ワクチンができる」、「有効な治療薬が開発される」頃のはず。
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