時代を語る・伊藤次男(1)五輪ボート、3回出場

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今も時折ボートを楽しむ=県立スケート場近くの秋田運河
今も時折ボートを楽しむ=県立スケート場近くの秋田運河

 「2020東京五輪」を1年後に控え、全て異なるボート種目で五輪3大会連続出場の偉業を成し遂げた伊藤次男さん(78)に半生を語ってもらいます。

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 ボートの魅力は水面を滑走する爽快感です。本荘高で出合い、大学、社会人時代を通し、競技選手として打ち込みました。ボートとの付き合いはもう60年以上になります。今も時々オールの感触を楽しんでいます。

 昭和39(1964)年の東京、次のメキシコ、そしてミュンヘンと3大会連続でオリンピックに出場しました。同じボート競技とはいっても、3大会とも違う種目で日本代表の座を得ました。メダルには届きませんでしたが、22歳から30歳まで世界の第一線で活躍できたことをうれしく思っています。

 オリンピック出場により、中南米、欧州と日本とは風土も文化も異なる所に訪問できたこともいい思い出です。特にメキシコは文明の違いをはっきり意識させられました。ただ、2千メートル超の高地で空気が薄いため、息切れに悩まされ、コンディションづくりに四苦八苦しました。

 現役を退いた後、県ボート協会理事長として「大潟漕艇(そうてい)場」(大潟村)の設営に関わりました。ここは元々、昭和59年、秋田県で開かれた全国高校総体「59インターハイ」のボート競技用に整備されました。

 それから35年余り。今度は「2020東京五輪」で大潟村がデンマークボート代表チームの受け入れ市町村(ホストタウン)になり、漕艇場が事前合宿の練習会場になるとは想像すらできませんでした。

 仕事では県職員として、県内の高速道路や新幹線の整備に携わったのが印象的です。高速交通網は県民の足であり、社会経済発展の礎です。中でも秋田新幹線は計画の初期段階と平成9(1997)年の開通時に担当課に在籍。その分感慨深く思い返すことの多い今日この頃です。

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