時代を語る・伊藤次男(10)中大進学、五輪候補に

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中央大と東京経済大の定期戦で(右端)=昭和38年4月、東京・荒川べり
中央大と東京経済大の定期戦で(右端)=昭和38年4月、東京・荒川べり

 東京の中央大に進みました。授業料の安い国立大ではないことに申し訳なさを感じつつ、少しでも親の負担を減らそうと、私が調べた限りでは最も安い私立大を選びました。昭和36(1961)年春のことでした。

 授業の履修届を出すとともに、中大のボート部に入りました。ボート部の艇庫兼合宿所が東京都と接する埼玉県南部の戸田ボートコース(戸田漕艇=そうてい=場)にありました。合宿所は少人数なら通年で寝泊まりできました。当初借りた板橋区のアパートをひと月ほどで引き払い、合宿所暮らしを始めました。大学のある神田駿河台には電車で1時間半余りかけて通いました。

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