時代を語る・伊藤次男(22)「メキシコ」後に結婚
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メキシコオリンピック翌年の昭和44(1969)年春、県の東京事務所から秋田市の本庁へ異動するのを機に、マリ子と結婚式を挙げました。私が27歳、家内は21歳になる直前でした。
同じ時期に在籍したことはありませんが、本荘高、しかも端艇(たんてい)部(ボート部)の後輩でした。当時、女子のボートチームがあるのは本荘高だけでした。やはり私と同じように端艇部の作左部忠監督(故人)から強く誘われて入部。3年生だった41年、全国高校総体(インターハイ)で3位に入っています。結婚式の仲人は、私と家内双方の恩師である作左部先生にお願いしました。
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