WEB独自:あきた鉄道ノスタルジア~鉱山で繁栄した町 阿仁合駅(上)

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阿仁合駅構内。多くの側線があり内陸線の駅の中では圧倒的に規模が大きい
阿仁合駅構内。多くの側線があり内陸線の駅の中では圧倒的に規模が大きい

 新しく建て替えられた駅に、昔をしのばせるものが残されていることはよくある。過疎化で今では利用者がほとんどいない駅にも、かつてのにぎわいを思い起こさせる痕跡が残されていることもある。駅とは、現在と過去が複雑に入り組んだ不思議な空間。そこに引かれる旅人も少なくないだろう。秋田県内のさまざまな鉄道駅を訪ね、かつての様子をとらえた写真を交えながら、在りし日に思いをはせる「旅」に出てみた。題して「あきた鉄道ノスタルジア」。

  ◇    ◇

 のどかな田園や豊かな自然の中を駆け抜ける秋田内陸縦貫鉄道(内陸線)。全線が単線で、JRと接続する角館駅、鷹巣駅(国鉄時代やJRは「鷹ノ巣駅」)以外のほとんどの駅は比較的小規模だ。そんな中、阿仁合駅はホームこそ1面しかないものの、側線が多く、車庫も2カ所。他の駅に比べ群を抜いて大規模だ。初めて内陸線に乗車し、阿仁合駅に到着したとき、車庫の外にも多くの列車が留め置かれている様子に、「こんな山奥にこんな大きな駅があるとは」と驚いたものだ。もっとも、今でこそ過疎化が進む阿仁合駅周辺だが、かつては多くの労働者が集まり繁栄した場所だった。

 阿仁では、鎌倉時代に金山が発見されたとの記録があるほか、奈良時代に建立された東大寺の大仏に阿仁の銅が使用されたという伝説も残されている。ただ、本格的に鉱山開発が進んだのは佐竹氏の秋田入部以降で、1670年の銅山の発見により全国的に阿仁鉱山の名が知られるようになったという(銅山発見は1637年との説もある)。1710年代には別子銅山(愛媛県新居浜市)を抜き銅の生産量が日本一に。尾去沢鉱山(鹿角市)と合わせて「日本三大銅山」と称され、藩政期には鉱員だけでも6千人が阿仁で働いていたという。

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