時代を語る・北川裕子(12)日本語指導の難しさ

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平成3年に能代市に永住帰国した中国残留孤児の一家
平成3年に能代市に永住帰国した中国残留孤児の一家

 中国残留婦人だったおばさんは、1年ほど日本で過ごした後、中国に戻りました。その後も手紙をもらい、「中国語を頑張って」などと励まされました。昭和60(1985)年ごろ、亡くなった後で中国の知人から届いた手紙には「最後まであなたのことを応援したいと言っていました」と書いてありました。

 おばさんの一時帰国から10年ほどたつと、中国残留者が能代にも相次いで来るようになりました。平成3(1991)年、残留孤児の一家が能代に永住帰国した時には、市の要請で日本語を指導する3人の1人に選ばれたんです。

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