菅首相の決めぜりふ「秋田の農家の長男に生まれた私」ってどうなの
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「秋田の農家の長男に生まれた私は…」は菅義偉新首相(71)の「決めぜりふ」。自民党総裁選後のあいさつや首相就任会見など重要局面で決まって口にしてきた。この言葉が醸し出すイメージと、背後に込められた意図を識者たちと読み解いてみた。
菅氏が生まれ育った雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)は宮城、山形両県境に接する農山村。同じ雄勝郡の羽後町で、農村の現実と悲哀を書き続けた詩人の小坂太郎に「奥羽線Y駅・2」(詩集『北方家族』1964年刊)と題した作品がある。
雪の残るたそがれの駅に降る
泥鮒のようにうごめく群れに
いちように
白く眼玉を光らせ
おおなみの山脈(やまなみ)に
額を暗く
不安な胸の夕焼けに
東京タワーのシルエットを刻む子の頬に
(略)
田園を血の気がひくように
汽車が去る
ふり返るな
毛を切れ
出征、身売り、出稼ぎ、集団就職と、Y駅(湯沢駅)で繰り返されてきた暗い旅立ちの情景だ。雪深い秋田から都会に出た菅青年と重なるところはあるのか。
「農家」というより「農村社会の出身者」
農民文学研究者の北条常久さん(81)=秋田市=は「当時の秋田の農家といえば、田んぼに足を突っ込み、苦労しながら作業する姿をイメージするだろうが、菅さんの場合は違うのではないか」と話す。「農家」とひとくくりに表現することで、菅氏の真の姿が見えにくくなるという。
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