さよなら百宅(5)思い出 豪雪地、笑いあり涙あり
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「鳥海(とりみ)のすその雪深く、ぶなの芽いぶく山の沢―」。廃校から36年がたつ百宅(ももやけ)小中学校の校歌は、そんな歌詞で始まる。
由利本荘市の元小学校長、工藤ミネ子さん(69)にとっても、百宅で教えた3年間の記憶は雪と共にある。
教職人生38年。1975年に教員採用され、百宅が振り出しの地になった。積雪が5メートルに達したこともあれば、体育館が雪で倒壊したこともある豪雪地帯。初めて足を踏み入れたのは75年3月28日。つづら折りの峠道を上り、その先を下った場所に集落があった。
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