社説:中曽根氏合同葬 「内心の自由」に関わる

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 故中曽根康弘元首相の葬儀が内閣と自民党の合同で営まれた。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、元首相の葬儀はどのような形がふさわしかったのか。時の政権はどう関わるべきだったのか。この2点を巡る問題を浮き彫りにしたのがこの合同葬だった。

 コロナ時代の葬儀の在り方としては約9600万円の税金投入に批判の声が上がった。政府は「必要最小限だ」とした。だが感染拡大で苦境にある人々を考えれば批判はもっともだ。

 非正規労働者らの解雇や雇い止めは依然として歯止めがかからず、企業の倒産も相次いでいる。この厳しい現実を直視すれば、経済再生への道のりが遠いのは明らかだ。

 葬儀に使う分を削って規模を縮小したり、より簡素にしたりして、経済対策などに向けることはできなかったのか。最多の政党交付金が配分されている自民党の負担分と合わせれば、葬儀費用は総額2億円近くにも上る。疑問は膨らむばかりだ。

 時の政権の関わり方として問題となったのは、文部科学省が国立大学などに弔意を表明するように通知したことだ。葬儀への税金投入と同様に前例があり、「強制は伴わない」というのが政府の立場だ。

 しかし受け取る側にとっては通知自体が「圧力」となり得る。「『踏み絵』を迫る形になったのではないか」「そうしなければならないという空気が教育現場に流れること自体問題」と深刻に受け止めた大学関係者らの声がそれを裏付けている。

 日本学術会議の問題も関係者の懸念に拍車を掛けた。菅義偉首相に任命を拒否された会員候補の教授6人は安倍前政権の安全保障政策などに批判的だった。そうしたことから通知は、要請に応じる大学とそうでない大学を選別する「踏み絵」ではないかとも受け取られたのだ。

 通知にはさらに難しい問題も潜む。弔意表明の要請は個人の「内心の自由」とも関わってくるからだ。

 内心の自由は個人の内面の精神的自由を指す。現憲法が保障する思想・良心の自由、学問の自由などがそれに当たる。国立大でも当然、運営する個々人にこの自由がある。

 それにもかかわらず、特定の政治家の葬儀に際して弔意表明を要請したことには疑問が拭えない。憲法に従って内心の自由を尊重するのであれば、通知などはせず、大学側の自由な判断に任せるべきだったのではないか。

 忘れてならないのは、多様な学問研究と教育が社会の豊かさと日常生活を支えているという重要な事実だ。政治が介入して排除や強制が行われ、多様性が失われるようなことがあってはならない。

 菅首相は「あしき前例主義の打破」が基本姿勢だ。中曽根氏の葬儀でなぜ前例を踏襲したのか明確に説明する必要がある。

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