新あきたよもやま:大人がやるとナマハゲになる

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小松和彦コラム 新あきたよもやま(22)~サイノカミとナゴメハギ②

「子供の頃は本当に楽しみだった」
「いい小遣い稼ぎだったよ」

能代市・荷八田地区でかつてサイノカミ祭りに携わっていた大高銀市さん、鉄徳さんの3人は、当時を懐かしむ。

大晦日は子供たちだけで神社に寝泊まりし、翌日の元旦もまたサイノカミのオドッコを担いで家々を周り、餅を貰った。

神社に奉納されたサイノカミの「オンドコ」(大高敏さん提供)


年号が平成に変わった頃から子供の数が減り、1990年代半ばに中断。その数年後、女の子も参加させて復活したが、少子化の波で行事の存続は不可能となった。

「これから復活する可能性はないのですか?」と私が聞くと、鉄徳さんが「今は小学生が2人、中学生はゼロ。またやりたいけど、これだけ子供が少なくなれば無理だなあ」

そして「だからといって、俺たちがやるとナマハゲになるべ」と言った。

サイノカミ行事を大人がやればナマハゲ行事になる。鉄徳さんの口から冗談で出た言葉だったが、両者の違いを的確に言い表しているのではないかと私には思えた。

荷八田での取材の様子


「正月にサイノカミが来ないのは今でも寂しい」と銀市さんは言う。

サイノカミ祭りが中断してから12年。今でもオドッコは大切に保管されている。ジジとババはいつか祭りが復活する日まで、静かに荷八田を見守っているかのようだ。

極楽と地獄

かつて荷八田のサイノカミ祭りは子供たちにとっては夢のような行事であった。では、能代市のもう一方の来訪神行事、浅内地区のナゴメハギはどうなのだろうか。

秋田の民俗学者・奈良環之助(たまのすけ)は男鹿のナマハゲと横手のカマクラを比較した上で「男鹿半島のナマハゲが子供の地獄とすれば、ここのカマクラは子供の極楽である」と書いた(『秋田県史・民俗工芸編』、1962)。

その言葉を能代の大晦日の行事に当てはめてみると、荷八田の子供にとっては極楽で、浅内の子供にとっては地獄なのかもしれない。どんな行事なのか、ぜひ取材したいと思った。

大晦日にナゴメハギがやってくる浅内は能代の市街地から南へ約5キロ。昭和30年に能代市と合併するまで、浅内村の中心集落であった。

昭和9年に刊行された『山本郡浅内村郷土夜話』(秋元利吉・編)によると当時の軒数は89軒。戦後は能代市のベッドタウンとして住宅が増え180軒にまで増えたが、現在は150軒程だ。

『郷土夜話』が書かれた頃、ナゴメハギは大晦日ではなく小正月の1月15日に行われていた。

「この晩、浅内部落では『ナゴメ剥(は)ギ』と云って鬼面異形の扮装したもの数人村内を巡り歩いて我儘者を戒(いまし)め併せて悪魔を払うのも由緒ある事であろう」

「ナゴメ」とは長い間火にあたっていると足に着く斑点のこと。これが怠け者の象徴と見られていたことから、「ナゴメを剥ぐ=ナゴメハギ」となったとされる。

ちなみにこの斑点のことを「ナモミ」ともいう地域では「ナモミハギ」となり、これがナマハゲの語源とされている。つまりナゴメハギとナマハゲは同義語なのだ。

犬の毛皮

2019年12月31日、宮原さんと能代市南部の浅内地区に向かった。前日までの暖冬ぶりが嘘のように大荒れの吹雪であった。
夕方5時に浅内の自治会館に到着すると、中では若者たちがナゴメハギの準備をしていた。襦袢に袴、脚絆(きゃはん)という侍のような衣装の上にワラを編んだケラをまとう。皆、若武者のようないで立ちだ。

ナゴメハギのケラは腰、両腕、両足、両肩の7枚に分かれている

浅内の皆さんはナゴメハギのことを略して「ナゴメ」と呼ぶ。

「今日ナゴメになる男性は24歳から45歳の12名。昔は独身の青年だけでしたが、今は既婚者も参加しています」

そう語るのは平成2年生まれの保坂智之さん。5年前からナゴメハギ保存会の会長を務めている。リーダーにふさわしく精悍な面持ちの青年だ。

ナゴメハギは4人ずつ3つの班に分かれ、集落の上、中、下をそれぞれ分担して周る。元々は1グループで行っていたが、住宅が増えたことで戦後は2班に、現在は3班になった。それぞれの班に「餅もらい」と呼ばれるご祝儀をもらう役の子供が付く。

保坂さんと2名の男性だけが背中に毛皮を羽織っている。これらは犬の毛皮だという。

犬の毛皮を背に纏う保坂会長

「3つの班の班長だけが身に付けるのですが、とても暖かいんです。ただ犬を飼っている家に入ると滅茶苦茶吠えられますね」

『能代市史特別編・民俗』によれば「冬場の外でおこなう作業には、明治中ごろまでに生まれたひとびとは犬の皮を着たものであった。犬肉は食べて、皮は鞣(なめ)して着たのである。(中略)暖かく丈夫で、一度作ると何十年も長持ちするものであった。」とある。犬の毛皮は保温性と防水性に優れており、アイヌやマタギも防寒具として利用していた。ナゴメハギの衣装には昔の雪国の習俗が残っているのだ。

かつてナゴメハギは浅内の他、周辺の中浅内、浜浅内、黒岡、寒川の4集落でも行われていた。しかし、人口減少などが理由で次々とやめてゆき、15年ほど前からは浅内だけとなった。

かつてナゴメハギを務め、現在は補佐役を務めている原田正胤(まさつぐ)さんは言う。

「浅内でもナゴメになる人が減り、やめようかという話が10年くらい前に出たことがありました。その時、若い人達が続けたいと声を上げて、長老たちがそれを後押してくれたのです」

今回集まったメンバーの何人かは普段は地元に住んでいない方だという。ナゴメハギのために故郷に戻ってきているそうだ。

ナゴメハギは浅内の皆さんが総力を挙げて守っている行事なのだ。

神の使い

ナゴメハギに参加されている皆さんと共に自治会館から浅内神社へと移動した。
神社の中にはナゴメハギ達が被るお面が13面並べられていた。ナマハゲによく見られる鬼の面ではなく、翁、女、曽我兄弟などの面である。これらはかつて番楽の時に被った面を近年になって作り替えたものだ。

ナゴメハギの面。下段左から二枚目が山の神の面


「実際の番楽は私も見たことが無いんですよ」

昭和47年生まれの原田さんは言う。

『能代のナゴメハギ』(能代市教育委員会・編、1984)によると浅内の番楽は阿仁の根子番楽の系譜を継ぐ芸能で達子(三種町下岩川)から伝わったとされる。第二次世界大戦前は旧暦のお盆に披露されたが、戦後間もなく廃絶。ナゴメハギは元々、ケヤキの皮をはいで作った面を使っていたが、いつしか番楽の面が転用されるようになった。

「一番怖いのは山の神の面。これは会長の保坂が被ります」
山の神は山姥(やまんば)のような恐ろしい顔だ。『能代のナゴメハギ』によれば「山の神は若者仲間の主だった人がつけるが、それをつけるというのでケンカになったものだ」という。

青年達が社殿に揃うと、お祓いが行われる。全員が二礼二拍手一礼した後、宮司さんが「ただ今の祭儀をもってナゴメハギの皆様には浅内神社の大神(おおかみ)様の御神意をいただきました。例年のごとく大神様のご神徳を地域一円に広めてください。道中お気をつけて」
と激励した。

出発を前にお祓いを受けるナゴメハギ


「神の使い」となったナゴメハギ達は安全を願う献杯を行った後、カツラと面を付ける。手には鐘や鈴、木製の出刃包丁や斧を持ち、神社の外へ出て階に並んだ。
風雪吹き荒れる中、ほら貝が鳴る。

「ウオー」

ナゴメハギたちが一斉に雄叫びを上げた。その声に反応して、犬の遠吠えが聞こえる。

午後6時過ぎ、いよいよナゴメハギの巡行が始まった。

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