時代を語る・加藤正人(10)日活撮影所で下積み
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映画脚本家の登竜門「城戸(きど)賞」を3年連続で逃し、「もう駄目だ」と絶望的になりました。決定的に実力が足りないと思い知ったんです。そこで、以前会った「にっかつ」(日活から社名変更)のスタッフに「アルバイトの口を紹介してもらえませんか」と願い出ました。
これがきっかけで、昭和56(1981)年から東京・調布の日活撮影所に通うようになったんです。27歳でした。言い付けられたのは、テレビドラマの粗筋を書くプロットライターという仕事。当時、テレビ各社は視聴率のいい2時間ドラマに注力していて、映画会社に製作を外注していたんです。