戦禍の記憶:横浜の空襲 「ただ地獄。それだけ」
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三種町鯉川の田中貞子さん(89)は10代のころ、激しい空襲に見舞われた横浜市に暮らしていた。焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中、必死に逃げ延びたと振り返る田中さん。75年余り前の体験を語ってもらった。
◇ ◇

「おーい、食べるものあるぞ」。兄に呼ばれて家の外に出たら、大きなアオダイショウがいたの。今は食べないものも、何でも食べたのよ。
おなかが減ると、へなへなって座り込んじゃって動けなくなるの。だから、サツマイモの茎やダイコンの葉も食べた。知らずにネコの肉を口にしたこともあります。小さく切り分けられていて、とても硬かったので食べないように箸でよけていたんだけどね。そのご飯を出してくれたお店でトイレに行きたくなってね。「裏にある」って店主が言うから行ってみたら、そこら中にネコの頭がごろごろ落ちていて。「あー見てはいけないもの見てしまった」と思ったけど、兄さんには言わなかった。
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