栄光と苦悩(3)戦国時代 代表の座へ各校鍛錬

有料会員向け記事
お気に入りに登録
※写真クリックで拡大表示します
1967年1月の準々決勝でタックルする秋田の選手(中央下)。勝って準決勝に進んだ=花園ラグビー場
1967年1月の準々決勝でタックルする秋田の選手(中央下)。勝って準決勝に進んだ=花園ラグビー場

 強豪となった秋田工以外のチームが、本県から初めて全国に駒を進めたのが1951年の金足農。50年に頂点に立った秋田工は前年優勝校枠で出場権を獲得していたため、予選を突破した金足農も出場できた。初挑戦で1勝し、2回目の54年に4強入り。62年には県予選準決勝で秋田工を破り、当時全国制覇を11回積み上げていた名門を初の県予選敗退に追い込んだ。

 66年に秋田工を2度目の県予選敗退に追い込んだ秋田は、初の全国(67年)で3勝して準決勝進出。優勝校の天理に6―9で敗れたものの堂々たる戦いを演じた。68年も連続出場を果たし、準々決勝で優勝した福岡電波に敗れての8強。3大会後にも4強入りし、秋田工だけでなく本県のレベルの高さを示した。

※この記事は「有料会員向け記事」です。有料会員(新聞併読、電子版単独、ウェブコースM、ウェブコースL)への登録が必要です。
(全文 792 文字 / 残り 478 文字)

同じジャンルのニュース