戦禍の記憶:軍需工場 鉢巻き姿、口答えせず

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軍需工場で働いていた当時を振り返る船橋さん

 わずかな食事で暗くなるまで働いても「とにかく戦争に勝たなければいけないと思っていたから、苦ではなかった」。戦中、神奈川県の軍需工場で働いていたという男鹿市払戸の船橋ヒサさん(94)に、工場での日々と当時の思いを振り返ってもらった。

 ◇  ◇

 軍需工場に行ったのは18歳の秋です。男鹿からは8人、秋田県からは合わせて50人くらい行ったと記憶しています。

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