時代を語る・柳田英明(1)心技体そろえ世界一

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レスリングの指導。厳しさの中にも温かさがにじむ=八郎潟町オリンピック記念会館
レスリングの指導。厳しさの中にも温かさがにじむ=八郎潟町オリンピック記念会館

 ミュンヘンオリンピックのレスリングフリースタイル57キロ級で金メダル、日本代表チームのヘッドコーチも務めた柳田英明さん(74)に半生を語ってもらいます。

 ◇  ◇

 鍛錬を重ねていくうち、無我夢中な自分のほかに、それを一歩脇に寄って冷静に見つめる自分がいるのに気が付きました。無我夢中な自分を冷静な自分が常にチェック。トレーニング方法を修正したり、新たに創意工夫を加えたりしました。この二つの自分が私を世界一へと押し上げてくれました。

 ミュンヘンオリンピックのレスリング会場。一番高く上がった日の丸はこの上ないものでした。首にかけてもらった金メダルは、それまで2連覇していた世界選手権とは重みが違いました。もう半世紀も前のことながら、会場の情景は今でも鮮明に覚えています。

 レスリングを始めたのは、秋田商業高に入ってからです。しかし、そのための心身を育んでくれたのは故郷・八郎潟町の人々や自然です。小さい頃から野山を駆け巡り、柔道場にも通いました。格闘技に向いた体へと成長させてくれました。

 商業2年の時、全国を巡る東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれたことも、オリンピックを目指すきっかけとなりました。国を挙げてのオリンピック熱に「自分も出てみたい」と夢を膨らませました。

 金メダルに至る道のりでは、大きな挫折もありました。商業3年生でインターハイと国体を制覇。ミュンヘン前の「メキシコオリンピックの星」と騒がれ、明治大に進みました。慢心があったわけでも、練習をおろそかにしたわけでもありません。しかし、国内予選で敗れ「星」はあえなくついえました。

 目標を失い、抜け殻になってしまいました。でも、これが貴重な糧となりました。自分を追い込み、寸分の隙もない心技体をつくり上げ、ミュンヘンに臨むことができたからです。

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