時代を語る・藤井けい子(7)就職せず、和裁を勉強

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高校3年生の頃、自宅前で母と=昭和42年
高校3年生の頃、自宅前で母と=昭和42年

 実家では母も祖母も、時間があれば針仕事をしていました。普段着はたいてい手作り。周りの家もそうでした。小さい頃から2人を見ていた私も縫い物が大好き。小学生の頃だったかな。人形の帯を作ろうと、母の友禅染の帯をはさみで切った時は怒られたなあ。

 高校3年になると、就職先を探しました。縫い物関係がいいなと思い、横手の和裁所に就職を決めました。和裁専門の縫い子さんたちがたくさんいる職場です。ところが母は「大きいところは部分縫いから始まり、1枚の着物を1人で仕立てるようになるまで何年もかかる」と反対でした。

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