旅と移動・世界×文化(2)ジャマイカからの移民と現代英国演劇(大西洋一)

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 英国の演劇界は、ロックダウン(都市封鎖)で観劇を楽しめなくなった人々にオンライン配信で演劇を届けた。英国を代表するナショナルシアターが提供した数々の名作の中で、ひときわ私の心に残ったのが「小さな島(Small Island)」(2019年初演)である。

 アンドレア・レヴィの同名小説(2004年)を原作としたこの劇の主人公は、第2次世界大戦後の英国に植民地ジャマイカからやってきたホーテンスと彼女の夫となるギルバートの黒人移民夫婦。二人の希望に満ちた旅の行き着く先は、リンカンシャー(イングランド東部)の養豚農家から上京したクイーニーが、さえない夫バーナードの出征後にロンドンで開いた下宿屋。「英領」ジャマイカと「本国」英国を舞台に、二組の人生が交錯しながら繰り広げられる人間模様である。原作小説(未邦訳)は英国でベストセラーとなり、BBCでテレビ映画化(日本版DVDの題名は『スモールアイランド』)されている。

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 教育の場でも長らく読み継がれているこの物語が2019年に上演されたのは、きわめて時宜にかなったことであった。というのも前年の18年、第2次大戦後にジャマイカなどカリブ海の英領地域から「本国」に移住した人々の在住資格をめぐる「ウィンドラッシュ・スキャンダル」が英国を大きく揺り動かしていたからである。

 「ウィンドラッシュ」とは、1948年に西インド諸島からの移民たちが乗ってきた船「エンパイア・ウィンドラッシュ号」のこと。原作者レヴィの父も乗船者の一人であった。戦後の労働力不足を補うため、求めに応じて英国に移民としてやってきた人々とその子供たちは、この船にちなんで「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれた。

 しかし、その中には、親に連れられて旅券や査証などがないまま入国した子供も多かった。彼らは1971年制定の移民法で、英国在住の英連邦加盟国民として永住権を与えられていたのだが、2012年の移民法改正により、たとえ英国育ちであったとしても十分な証明書類がなければ国外退去処分もあり得ることが判明した。それまでの彼らの英国での実際の生活を一顧だにしない、政府の人種差別的で非人道的な対応が大きな政治問題となる中、ジャマイカからの移民がどのような思いを抱いて本国に渡り、それを英国の人々がどのように受け止めたのかを赤裸々に描いた「小さな島」が、ナショナルシアターで上演されたのだ。

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 英国で教師となり豊かな生活を送ることを夢見ていたホーテンスと、一足先にウィンドラッシュ号で渡っていたギルバートの住まいは一間限りの安下宿。二人とも思い通りの仕事には就けず、配達仕事で糊口(ここう)をしのぐギルバートは職場で「いつジャングルに帰るんだ」と罵(ののし)られる。近隣住民は、黒人の間借り人がいると町の風紀が乱れて治安が悪化するとばかりに、移民を追い出せと家主クイーニーに迫る。クイーニーには、ホーテンスの幼なじみでジャマイカ出身の空軍兵マイケルに心と体を許した過去があり、理不尽な非難には耳を貸さずホーテンスらを守る。だが戦地から戻った夫バーナードは、黒人を下宿させていることを知り激怒する。

 「なぜ母なる国はわが子を知らないのか」とは、ギルバートが「母国」である英国で遭遇する無知と無理解と不寛容を指して語る言葉である。ジャマイカの人々は、独特の抑揚と訛(なま)りのある英語で「ヒングランド」と呼ぶ遠くの母なる国に関する知識を貪欲に学び、夢を馳(は)せる。だが「イングランド」の側ではジャマイカがどこにあるのか、英語を話せるのかどうかも知らず、知ろうともせずに彼らを拒絶する。

 ホーテンスとギルバートは、自分たちを待ち構えていた冷酷な現実の「英国」に直面しながら、時に怒りのうちに耐え忍び、時にユーモアで乗り越え、時に誇りを持って戦いながら「新天地」での生活を切り開いていく。それは戦後から現在にまで続く長い差別と苦難の歴史の始まりにすぎない。だが、二人がこの劇のクライマックスで腕にかき抱く、クイーニーがあのジャマイカ人兵士マイケルとの間に産んだ赤ん坊の姿は、次世代における和解と融和の兆しと祈りとなって物語を締めくくる。

 ホーテンスとギルバートの波乱に満ちた旅のように、すべての旅は必ずしも期待通りの目的地に連れて行ってくれるとは限らない。しかし、必ずや新しい世界を垣間見せてくれるからこそ、われわれは旅をするのだろう。

【おおにし・よういち】1965年福島県喜多方市生まれ。秋田大学教育文化学部准教授(英文学、現代英国演劇)。最近の論文に「1984年の記憶―炭鉱ストライキと現代英国表象文化―」や「ラジオドラマと「炭鉱」―リチャード・ヒューズ作『危難という喜劇』(1924)」など。

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